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《鋼の肉体》横綱千代の富士伝説… 寺尾「なんじゃこりゃ、まるで鉄板」“鬼の形相直前の貴乃花”に九重親方「痛かったらやめろ!」
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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posted2022/07/11 17:01
現役時代の千代の富士(1988年)。彼らと戦った力士の印象は?
「千代の富士ほどの男なら、たかだか1回の花相撲の勝ちでも優位に立ってしまうだろう。ただの一度でも勝ちを譲ったなら、私の気弱な部分をきっと見抜いていただろう」
これほどまでの気力で臨まなければ、千代の富士に勝つことは難しかった。
「貴乃花、痛かったらやめろ!」
<名言4>
貴乃花、痛かったらやめろ!
(九重親方/NumberWeb 2018年9月10日配信)
◇解説◇
千代の富士が引退を決断したのは、1991年のこと。5月場所で初日に当時の貴花田(のちの貴乃花)にまわしが取れないまま寄り切りで敗れると、3日目の貴闘力戦で2敗目を喫した夜に緊急会見を開き、土俵人生に幕を下ろすことを発表した。
「体力の限界……気力もなくなり、引退することになりました」
あまりに有名なフレーズとともに、当時18歳の貴花田が出てきたことが決意の要因になったことも人々の印象に残っている。それから10年——貴乃花は「世紀の一戦」を両国国技館で戦った。
01年5月場所、貴乃花は初日から13連勝で優勝が視界に入る中、14日目の武双山戦で右膝に大ケガを負った。千秋楽の結びの一番、対戦相手は横綱・武蔵丸(現・武蔵川親方)。ガチガチのテーピングで固定した貴乃花を目の前に見る中、武蔵丸は九重親方が“ストップ”をかけるような言葉を口にしたと記憶しているという。千代の富士として、現役時代にケガに泣かされ続けたからこそ、九重親方として思うことがあったのだろう。
結末は広く知れ渡る通り。本割では武蔵丸が勝利したものの、優勝決定戦では貴乃花が上手投げで武蔵丸を投げ飛ばし、鬼の形相で賜杯をもぎとった。時の首相・小泉純一郎は表彰式で「痛みに耐えてよく頑張った! 感動した! おめでとう!」と絶叫し、日本中が興奮のるつぼとなった。
この22度目の幕内最高優勝は、貴乃花にとって最後の優勝となった。膝のダメージは深刻で、7場所連続の長期休場の後、2003年に引退したのだった。
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