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監督の激怒と公開説教…「サッカー人生、終わったかもしれんわ」 それでも鎌田大地はなぜ「市場価値31億円」の高評価なのか〈インタビュー〉 

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ミムラユウスケ

ミムラユウスケYusuke Mimura

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photograph byHideki Sugiyama

posted2022/06/14 11:00

監督の激怒と公開説教…「サッカー人生、終わったかもしれんわ」 それでも鎌田大地はなぜ「市場価値31億円」の高評価なのか〈インタビュー〉<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

EL制覇を果たし、日本代表でも存在感を放つ鎌田大地がインタビューに応じてくれた

「人生のなかで最も厳しい勢いで叱られましたからね。サッカー人生の中で最も厳しいという意味ではなく、僕が生きてきたなかで最もキツイ怒り方だったという意味です。『明日からチームの練習に参加させてもらえるのかな?』と感じたくらいなので」

 翌日、不服そうな態度を取ったことを監督に謝罪し、自分のパフォーマンスが良くなかったことについても認めた。同時に、そこに至るまでの過程で、鎌田が起用法に疑問を覚えた理由などについてはきちんと伝えた。

「オマエの謝罪は受け入れるし、考えていることもわかった。昨日の件は、これで終わりにしよう」

 監督からはこう言われて、いちおうの決着を見た。

“鎌田伝説”を物語る鳥栖でのルーキーイヤー

 鎌田はそもそも、若いときから監督とコミュニケーションを取りにいくのをいとわない選手だった。

 “鎌田伝説”の1つとしてよく語られるのが、ルーキーイヤーの話だ。

 高卒1年目の18歳だった鎌田は、当時のサガン鳥栖で監督を務めていた森下仁志のもとへ「どうして自分が起用されないのか」を聞きに行った。これが鎌田の度胸や責任感の強さを表すエピソードとして紹介されるのだが、本人の感覚はそれとは少し違う。

「よく誤解されますけど、自分が試合に出られないから文句を言いに行ったわけではないんですよ。当時は練習をしていても、自分は良いプレーを見せられていると感じたし、周りからもそう言われていたので、チームのためにも……と思って話をしにいっただけなので」

 鎌田は、物おじせずに監督に意見できるという資質に誇りを持っているわけではない。むしろ第三者のようにチームの状況を冷静に分析して、判断する力に自信を持っているのだ。

「実際、フランクフルトに来て最初のシーズン、コバチ監督のときには、一切話に行ってません。それは言葉の問題があったからでもなくて。いざとなれば通訳に頼めばいいわけだから。あの時点では、客観的に見て、自分の実力が足りていないというのがわかっていたからです」

ヘルタ戦、オレのサッカー人生がかかってるわ

 ケルン戦のあとに監督から大目玉を食らったからこそ、そこから先が重要になると鎌田は自覚していた。ケルン戦の翌週、バイエルンとの試合では、0-1の82分から送り出された。もっとも、バイエルン戦では守備的な選手を並べる可能性が高いから、この状況は十分に予想できていた。

 となれば、その翌週のヘルタ・ベルリン戦がキーになる。

 残留争いに巻き込まれているチームとの試合だ。攻撃的なポジションの選手がチームを救うような仕事をしないといけない。実際、このタイミングで、鎌田の個人マネージャーを務めている東山高校時代の同級生にこう明かしている。

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