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古いアルバムに残る「23歳オシムと着物姿のアシマ夫人」サラエボの葬儀に参列した記者が聞く、“半世紀”を超える日本との深い交流とは
posted2022/06/13 17:03
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph by
Takuya Sugiyama
反町康治・日本サッカー協会技術委員長は、イビチャ・オシムの棺が埋葬され、その上にうずたかく重ねられた花束の山の片隅に、そっと日本代表ユニフォームのレプリカを置いた。
2022年5月14日午後2時過ぎ、サラエボ・ベア墓地。こみ上げる思いを何とか耐えるように嗚咽を堪える反町の目からは、涙が幾筋も零れ落ちていた。そのしばらく前、オシムの追悼セレモニーがおこなわれた国立劇場で、彼はズボニミール・ボバンやファルク・ハジベジッチ、サラエボ市長のベンジャミナ・カリッチ、駐ボスニア・ヘルツェゴビナ大使の伊藤眞らとともにスピーチの壇上に立ち、オシムへの思いを吐露した。
「反町はどうしている?」
オシムと反町の間には、目に見えない絆があった。2006年、五輪代表監督に就任した反町は、同時にオシムが監督を務めるA代表のコーチも兼任した。反町がオシムから得たものは多く、病に倒れ帰国したのちもオシムからは何度か「反町はどうしている?」と尋ねられた。あるとき私が「日本協会の技術委員長です」と答えるとオシムはこう続けた。以下はそのときの会話である。
「そうか。彼も進化したということだな」
――そう願いたいですが……。
「彼はサッカーが大好きだ。たくさん旅して多くの試合を見ている。それで見識を深めない方がおかしい」
――そうかも知れません。
「自分たちとは違ったサッカーに触れれば、何か感じるところはある。私が日本にいたころから、彼は人とは違うアイディアを持っていたしサッカーを愛していた。愛する気持ちがなければ、サッカーに身を捧げることはできない。時間やエネルギー、すべてをサッカーのために捧げる。そうでなければ進歩しない」
反町のことばかりではない。オシムは日本のことを気にし続けた。まるで一番大切なものを、日本に残してきたかのように……。