核心にシュートを!BACK NUMBER
長谷部誠いわく「お前はイメージで損してる」 鎌田大地が語る“号泣EL優勝の真相と大舞台での強さ”「うーん、なぜでしょうね。ただ…」
posted2022/06/14 11:01
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
Angel Martinez - UEFA/Getty Images
サッカーやってて初めて、「あぁ、報われたな」と
水のたまっていない泉からあふれ出るものがないように、苦汁をなめてこなかった者の中から何かがあふれ出ることはない。鎌田大地の瞳から涙があふれてきたのは、血のにじむような努力や苦労があったからだ。
「あの場面が中継映像に映っていなくて良かったですよ……。最後にファンへ挨拶しに行った時、オレは大号泣でしたから」
嬉しくて涙があふれてとまらないなんて、初めての経験だった。
「サッカーをやっていて初めて、『あぁ、報われたな』と思いました」
近年はドイツの強豪の仲間入りを果たしつつあるフランクフルトで主力となり、日本代表にまで登りつめた25歳の報われない人生とはどんなものだったのか――。
「僕はこれまでサッカーに対して時間をかけて、誰にも負けないくらいやり続けてきた自信はありました。でも、ずっと上手くいかなくて……。これまでのサッカー人生がフラッシュバックしたからだったんでしょうね、あんなに泣いたのは」
これまでは縁がなかった。日本代表にも、タイトルにも。
例えば、2学年上には日本代表で共に戦う南野拓実がいる。同じ大阪育ちだ。年代別の代表でも常にエースや中心選手として戦ってきた先輩とはかなり違うキャリアだと感じている。
「拓実くんは、王道。どちらかと言うと、光という感じです。僕は、アンダーグラウンドというか、影のような感じ。僕の経歴は正直、全然ゴミだと思います」
ずっと両手と両足にオモリをつけて坂道ダッシュ
少し刺激的な言葉で、自身の経歴を表現する鎌田だが、誇りを持っていることがある。
「そういう経歴であっても、個人的な練習だったり、サッカーにかけてきた時間や労力には、すごく自信があるし。高校のときもマンガのような生活をしていましたから」
生まれた時代が昭和だったら『巨人の星』や『あしたのジョー』に感化されるタイプだったかもしれない。平成8年(1996年)に愛媛県で生まれ、大阪府岸和田市で育った鎌田のモデルは、アメリカンフットボールを題材にした『アイシールド21』だった。