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〈トルネード旋風から27年〉強気な野茂英雄に“先輩”吉井理人は「アイツ、ホンマにやりよった…」常識破りのメジャー挑戦 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph byKazuaki Nishiyama

posted2022/06/19 06:00

〈トルネード旋風から27年〉強気な野茂英雄に“先輩”吉井理人は「アイツ、ホンマにやりよった…」常識破りのメジャー挑戦<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

吉井にとって近鉄の後輩にあたる野茂は、メジャーの先輩になった。

要らん練習するから調子を落とすんですよ

 いまもマリーンズで現場にいますけど、一軍にいる投手って技術的な差異はほとんどありません。いいパフォーマンスを発揮するために必要な要素として、その70%はコンディション作りじゃないかと考えるようになりました。要らん練習するから調子を落とすんですよ。そのあたりはしっかりと見ているようにしてます。

 野茂も長いこと現役を続けられたのは、コンディショニングに気を配ってたからじゃないでしょうか。それに加えて、当時の野茂はいい意味で「図太さ」があった。自分の信念を曲げずにメジャーに入って、細かいことは気にせず、アメリカのいいところを取り入れながらやってました。それに言い訳しない。ボールが滑りやすいだの、マウンドの高さや硬さについて文句を言ったことがないはずです。打たれても言い訳しません。ひと言も。

 そんな野茂のスタイルは、アメリカでの日本人のイメージを変えたと思います。それまでは、経済力はあるけれど、小柄で眼鏡をかけているイメージが強かったんじゃないですかね。そんな先入観を野茂はダイナミックな投球で変えていった。メッツでチームメイトだったアル・ライターという投手が、「日本人はもっと小さいと思ってたけど、野茂とお前はデカいな」と言ってましたから(笑)。

野茂のメジャー挑戦にはどんな意味があったか?

 野茂がメジャーへの道筋をつけてくれたことで、自分の人生にも大なり小なり、いろいろな影響があったと思います。アメリカでの日々は、人生観がガラッと変わったというか。僕は日本にいた時は常識外れで本当にどうしようもない人間でした。それが、アメリカに行ってからは、感情をストレートに表現しながらプレーすることがバカバカしく思えてきて。アメリカで投げるようになって、自分で言うのもなんですが、大人になれたんじゃないかと思ってるんですよ。

吉井理人Masato Yoshii

1965年4月20日、和歌山県生まれ。'84年近鉄に入団し'88年には最優秀救援投手に。ヤクルトを経て'98年メッツ入団。ロッキーズ、エクスポズと渡り'03年オリックス移籍。'07年に現役引退後は3球団で投手コーチをつとめる。

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