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柔道があまり好きではなかった13歳の少年を変えた“偉大な父の死”…斉藤立(20)史上初の親子日本一「パリでは父と同じ場所に立ちたい」
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byAFLO SPORT
posted2022/04/30 11:04
体重無差別で日本一を争う全日本選手権で初優勝を果たした斉藤立(20歳)。世界選手権100キロ超級の日本代表に選出された
父・仁さんは1984年ロサンゼルス五輪と1988年ソウル五輪の柔道男子95kg超級で2大会連続金メダルを獲得した。ケガや故障と戦う苦悩の日々からも、強靭な精神力で復活し、世界の頂点に立った日本柔道界のレジェンドだ。
そんな父は、斉藤にとっては最終目標であり、憧れの存在だ。
幼い頃の道場での指導は「本当に厳しかったですね」と4月上旬のインタビューでも語っていた。柔道に限らず、生活面においても厳しかった。
「中学に上がる頃までは、飲み物は水かお茶と決められていた」ルールも。「でも、父はペプシ(コーラ)のゼロカロリーを飲んでいて、ずるいって思ったこともありましたね(笑)」と、懐かしいエピソードも披露してくれた。
愛情があるがゆえの厳しい指導。ただ、幼かった斉藤は父の思いを完全に理解できたわけではなかった。
「父には逆らえなかったですし、絶対的な存在でした。当時はまだ自分もガキの部分がありましたし、亡くなるまではやらされているなという感じがあって、正直なところ、柔道があまり好きではなかったんです。中学1年の最初の頃なんかは、『なんでやらんとあかんのや』と感じていた部分もあったくらいで」
父の死が柔道への覚悟を芽生えさせた
それでも師匠である父は斉藤にとってはなくてはならない存在だった。いつまでも傍にいてくれるものだと思っていた。しかし……仁さんは2015年1月、54歳の若さで他界。当時13歳だった斉藤は、しばらくは父の死を現実のものとして実感できずにいた。
それでも、父の死が斉藤の柔道への新たな覚悟を芽生えさせたきっかけにもなった。
「自分の中で父は最強。誰にも負けない存在でした。病気になったときも『大丈夫だろ』って思っていましたし、だからこそ、亡くなったときに実感するまで1カ月以上もかかって……。その間は柔道をする気にもなれなかったですし、『父のために頑張ろう』という気持ちにもなれませんでした。少しずつ現実を受け入れるようになってから、柔道により真剣に向き合えるようになったんです。それまで支えになってくれた人、そしてなによりも父親に恩返しをしないといけないなって」
以降、斉藤は柔道に明け暮れた。高校総体では2年連続で優勝し、2018年には全日本ジュニア体重別選手権で優勝。昨年はワールドツアー初出場となったグランドスラム・バクー大会でシニアの国際大会初優勝も果たした。
中学生だった少年は大学生に成長し、ときには試行錯誤しながらも、順調に階段を駆け上がっている。