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「俺の方が強い」朝倉未来の挑発も「あっ、そうなんですか」と柳に風… “泣き虫王者”牛久絢太郎がRIZINフェザー級の中心になった日
posted2022/04/29 11:04
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
RIZIN FF Susumu Nagao
流行りのトラッシュトークを駆使した挑発や罵倒は嫌いだ。記者会見でことさら自分を大きく見せようという野心もない。プロレス顔負けの場外乱闘などもってのほか。「もっと試合を派手に煽ってくれよ」と願う大会関係者にとっては、やっかいな存在かもしれない。『RIZIN.35』(4月17日・武蔵野の森総合スポーツプラザ)で斎藤裕を返り討ちにして、RIZINフェザー級王座の初防衛に成功した牛久絢太郎はそういう男だ。
そもそも昨年10月、牛久が当時フェザー級王者だった斎藤に挑戦することが発表されたとき、SNSにおけるファンの反応は「なんだ、牛久かよ」といった冷やかなものだった。
当時、牛久は中村大介を撃破してDEEPフェザー級王座を初防衛したばかり。RIZINには初登場だったが、その実力については、格闘技ファンにすらしっかり認知されていたとは言いがたい。牛久がパンクラスを主戦場にしていた時代、筆者は同団体のテレビ解説をしていた関係で何度か彼の試合についても話した記憶があるが、確固たる印象が残る選手ではなかった。
“無名のDEEP王者”が起こした番狂わせ
では、なぜ牛久はRIZINに抜擢されたのか。もちろん主戦場をDEEPに移して地力をつけたこともあると思われるが、最大の理由は“DEEPの現役チャンピオン”という肩書を持っていたからだろう。チャンピオンという肩書は、大舞台で活躍しようとするときに格好の通行手形となる。仮に牛久というファイターの存在を知らない人に対しても、「おっ、チャンピオンなんだ」と納得させることができるのだ。
とはいえ、斎藤との初対決前、多くのファンは「斎藤の勝利」を予想していた。それはそうだろう。当時の斎藤は朝倉未来をシーソーゲームの末に撃破し、スター街道をまっしぐらに駆け上っていたのだから。対照的に、その時点で牛久がどんな格闘家であるかを把握していた関係者がどれだけいたというのか。
もちろん巷のネガティブな声は牛久の耳にも入っていた。だからこそ飛びヒザ蹴り一発で斎藤の右目上を大きくカットさせ、TKO勝ちを飾った直後のマイクアピールは奮っていた。
「どんな下馬評でも、自分を信じれば覆すことができます」
カットでの決着だったこともあり、「牛久の勝利はフロック」という声もあったが、それは違う。「牛久=テイクダウン」というイメージを植え付け、斎藤の意識を下に向けさせたうえでの一撃だったのだ。『RIZIN.35』 で浜崎朱加を破り、RIZIN女子スーパーアトム級王者になった伊澤星花も指導するK-Clannの横田一則代表と練った戦略が、ズバリ的中した結果だった。