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「生々しい傷が残って…」衝撃の死から1年後、アイルトン・セナから石橋貴明に届いた“約束のヘルメット”「一度も頭を入れたことはありません」 

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松本宣昭

松本宣昭Yoshiaki Matsumoto

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photograph byGetty Images

posted2022/05/01 11:02

「生々しい傷が残って…」衝撃の死から1年後、アイルトン・セナから石橋貴明に届いた“約束のヘルメット”「一度も頭を入れたことはありません」<Number Web> photograph by Getty Images

1994年5月1日、サンマリノグランプリでのクラッシュで亡くなったアイルトン・セナ。34歳の若さだった

モナコGPで古舘伊知郎と共演。

 ところが、その写真はセナのもとへ渡ることになります。

 翌年、僕はモナコGPの中継に、ゲスト出演しました。予選前日、マールボロが開いたパーティーに、あの写真も持参して出席すると、ステージを降りたセナが、僕らの座るテーブルの方へ歩いてきました。

「セナ! この写真、覚えてる? 明日、俺、コメンテーターやるから!」

 思わず声をかけたら、セナもにっこり。

「オー! ジャパニーズ・フジTV ! プレゼント・フォー・ミー?」

 そのまま写真を持って帰っちゃった。さすがに断るわけにはいかないもんね。

 迎えた決勝。モナコの実況席って、驚くほど狭いんです。そこに、実況の古舘伊知郎さん、解説の今宮純さん、僕の3人が座る。机には、古舘さんが用意した資料がずらーっと並んでいました。

“音速の貴公子”セナ、中嶋悟“刻み納豆走法”、“振り向けばブーツェン”などなど。あの頃のF1には、個性豊かなドライバーが次々と現れて、そこに古舘さんが付けるキャッチフレーズが加わることで、まるで連続ドラマを見ているように楽しめました。

 古舘さんは、そんな膨大な数のキャッチフレーズやエピソード、データが書かれた資料を、前日からホテルの部屋に缶詰になって準備していました。僕も触発されて、首位を独走していたミハエル・シューマッハーが、33周目に手を振りながらリタイアしたとき、「まさに走りの金井克子、パールライス走法!」なんて、ふざけたことを言っちゃったんですけどね。

セナとタカのカート対決。

 このレースの約半年後、僕は再びセナと2ショット写真を撮るチャンスに恵まれます。『生ダラ』のカート企画に、セナが出演してくれたんです。

 そのきっかけも、モナコGPでした。現地に向かう飛行機を待つ空港で、見知らぬ日本人の方に話しかけられたんです。

「タカさんはあのカートの企画、最終的にはどうしたいの?」

 戸惑いながらも、僕はこう返しました。

「最終的にはアイルトン・セナとタカの対決をやりたいんです。でも、なかなかセナには話が繋がらないんですよね」

 すると、「だったら僕が言ってあげるよ」と。実はその人、タイヤメーカー・グッドイヤーの偉い人でした。さすがに嘘でしょと思っていたけど、実際にモナコのピットで、セナと親しげに話している。そして、僕の方に駆け寄って来てこう言うんです。

「セナ、いいってよ」

【次ページ】 『生ダラ』収録現場で見せたこだわり。

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