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「生々しい傷が残って…」衝撃の死から1年後、アイルトン・セナから石橋貴明に届いた“約束のヘルメット”「一度も頭を入れたことはありません」
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph byGetty Images
posted2022/05/01 11:02
1994年5月1日、サンマリノグランプリでのクラッシュで亡くなったアイルトン・セナ。34歳の若さだった
『生ダラ』収録現場で見せたこだわり。
そんな奇跡のような出会いから実現した、'93年12月のセナvs.タカ。現場で驚かされたのは、セナのこだわりでした。
「モア! モア!」
収録では、コースを走る前にドライバーごとに座席やエンジンの微調整をするのですが、セナは納得いくまで何度も何度もやり直しをリクエストしていました。実際に作業をするのは、普段、僕らみたいな素人のマシンを扱うカートショップの普通のおじさんだから、焦っちゃって。大量の汗を噴き出しながら、なんとかセナの要求に応えていましたね。
バンバンバンバンバンバンバン!
いざセナがコースに出ると、またもびっくり。アクセルワークの次元が違うのか、今まで聞いたこともないようなエンジン音を響かせて、見たこともないようなスピードでコーナーを回ってくる。
「タカは元気かい?」という伝言を残して。
ところがセナは、本番になるとゴールラインぎりぎりで僕に勝たせてくれました。ウイニングランで、スタッフが日本とブラジルの国旗を用意していたら、自らさっと日の丸を取ってくれる。ちゃんとバラエティを理解して、しっかり番組を盛り上げてくれる優しさが、カッコよかったなぁ。
「今日は僕が負けちゃったから、もう1回やろうね。今回は僕が日本に来たから、次はブラジルにおいでよ。来年、ブラジルでの開幕戦の前にやろう」
残念ながら、セナvs.タカの再戦が実現することはありませんでした。翌年の3月、僕はロサンゼルスでの映画『メジャーリーグ2』の試写会にどうしても参加しなくてはならず、ブラジルに渡ることができなかったんです。4月に岡山で行なわれたパシフィックGPの際には、セナから『生ダラ』スタッフに、こんな伝言をもらいました。
「タカは元気かい? ブラジルのときは、仕事が忙しくてダメだったのか。でも、秋の鈴鹿の前にやろう。それをタカに伝えておいてくれ」
'93年の鈴鹿では、レース前のピットでチームオーナーのロン・デニスとものすごい剣幕で口論していたにもかかわらず、僕を見つけると、優しく握手をしてくれました。また会えると信じていたから、'94年5月1日、サンマリノでセナのマシンがコンクリート壁に正面から突っ込む中継映像を見て、僕の頭の中は真っ白になりました。テレビの中で起きていることが現実だとは、しばらく理解できなかったんです。