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「生々しい傷が残って…」衝撃の死から1年後、アイルトン・セナから石橋貴明に届いた“約束のヘルメット”「一度も頭を入れたことはありません」
posted2022/05/01 11:02
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph by
Getty Images
神懸かった走り、ライバルたちとの死闘によって多くの人々がF1とブラジル人ドライバーに心を奪われた。その1人、番組でカート対決に挑んだ“アイルトン・タカ”が、“音速の貴公子”との出会いと突然の別れを振り返る。
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石橋貴明は、1992年に新聞紙上に見つけた西武百貨店の全面広告を、今でも鮮明に覚えている。アイルトン・セナのモノクロのポートレート写真に、こんなコピーが添えられていた。
足りないものは何ですか?
愛が足りない。――アイルトン・セナ
地位も名誉も勝ち取り、世界中の人々に愛されている。一方、プライベートでは22歳で離婚を経験し、どこか物悲しそうに見えるセナの表情に、石橋は魅了された。
'87年にフジテレビがF1中継を始めて以来、セナ一筋。初めて生観戦した'89年日本GPでは、セナが残り2周でトップのアレッサンドロ・ナニーニをオーバーテイクした瞬間、13万人の大観衆とともに拳を突き上げた。翌年の鈴鹿では、スタート直後の1コーナーで、セナとアラン・プロストがクラッシュした瞬間、言葉を失った。
'92年、日本テレビ『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』内でカート対決企画を始めてからは、自身を「アイルトン・タカ」と名乗っていた。
そんなタカとセナが初めて対面したのは、'92年10月20日。東京・河田町にあったフジテレビ社屋内の、特別応接室だった。
セナ「彼はグッドガイだ」
あの日はたまたま仕事が休みで、家でテレビをつけたら、『笑っていいとも!』にセナが出てたんです。15時からの『タイム3』と、夕方の『スーパータイム』にも出演すると告知していました。慌ててフジテレビのスタッフに「会えないかな?」って相談したら、許可が下りて。『生ダラ』で使っていたセナ仕様のヘルメットを持って、急いで河田町に向かいました。
ガチガチに緊張しながら応接室に入ったら、セナはソファでくつろいでいる。僕としては、軽く挨拶をして終わりだろうと思っていました。ところが立ち上がってネクタイを締め直したセナは、がっちり手を握って、こう言ってくれたんです。
「はじめまして。カートをやっているそうですね。うまくなりましたか? カートは、小さな子どもたちにとって、精神と肉体をすごく鍛えられる素晴らしいスポーツです。僕も昔、カートの大会で来日したことがあります。ぜひ、テレビを通じてカートを広めてください」
もう、大感動。セナのマネージャーから冗談半分で「“アイルトン”を名乗ってるなら、ギャラをもらわなきゃ」って言われたけど、セナは「彼はグッドガイだ。そんなこと言うな」と。あのとき、一緒に撮ってもらった写真は、宝物になりました。