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「Jリーグ史に残るブラジル人と敏腕代理人+中島翔哉ら日本人」が“ポルトガルの2部常連”を変革した真相とは〈ポルティモネンセ史〉 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byHiroaki Sawada

posted2022/05/19 11:02

「Jリーグ史に残るブラジル人と敏腕代理人+中島翔哉ら日本人」が“ポルトガルの2部常連”を変革した真相とは〈ポルティモネンセ史〉<Number Web> photograph by Hiroaki Sawada

ポルティモネンセのクラブ内施設には中島翔哉の写真が大きく飾ってある

 彼と彼の右腕ロジネイ・サンパイオが、ポルティモネンセへもブラジル人選手を送り込むようになった。

 2009年には、クラブ初の日本人選手としてFW中村祐人(現リーマン=香港)が入団。翌年には2008年から川崎Fで大活躍したFWレナチーニョを移籍させるなど、Jリーグで活躍したブラジル人選手を送り込んだり、逆にこのクラブで実績を残したブラジル人選手をJリーグへ送り込んだ。

 これらの移籍を通じてポルティモネンセからテオへの負債が生じ、それが次第に膨れ上がっていった。2013年、クラブがフットボールのプロ部門を切り離して株式会社化すると、テオはクラブへの債務を用いて株式の過半数を買い取り、最大株主即ちオーナーとなった。会長には、ロジネイが就任した。

ブラジルや南米選手、日本の力の有効活用を

 2人が考えた戦略は、費用対効果が優れたブラジル人や南米人選手を補強することに加え、自分たちが熟知する日本と日本のフットボールとの関係を利用してクラブの財政を安定させ、同時に強化を図って1部に定着することだった。

 この年9月、ニュルンベルク(ドイツ)で出場機会が少なかったFW金崎夢生(現名古屋グランパス)を獲得した。当時、チームは2部で戦っていたが、金崎は攻撃の主力を担い、1シーズン半の間に47試合に出場して16得点。地元サポーターからも愛された。

 2016年には、かつてテオとロジネイが代理人を務めて浦和へ移籍させたロブソン・ポンテを強化部門の国際担当として迎え入れた(その後、副会長兼強化部長に昇格)。

 そして、2016-17シーズンに2部で優勝して1部へ昇格すると、2017年8月、FC東京からFW中島翔哉を獲得した(当初は期限付き移籍で、後に完全移籍)。この小柄な日本人アタッカーが、ポルティモネンセと日本の距離を劇的に縮めることになる。

 当時23歳の中島はチームの攻撃の中心としての役割を与えられて躍動する。持ち前のトリッキーなドリブルと意表を突くスルーパスで決定機を演出し、自らも積極的にゴールを狙った。2017-18シーズンにはリーグ戦29試合に出場して、10得点12アシストと大ブレイク。日本代表にも招集され、2018年ワールドカップ後は代表の常連となった。

2018年以降の日本人選手を見てみると

 中島の所属クラブということで日本におけるポルティモネンセの知名度も高まり、2018年以降、多くの日本企業がスポンサー契約を結んだ。

 以来、ポルティモネンセはさらに多くの日本人選手を獲得するようになった。

【次ページ】 中島翔哉や権田修一も研鑽を積んだ

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