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「Jリーグ史に残るブラジル人と敏腕代理人+中島翔哉ら日本人」が“ポルトガルの2部常連”を変革した真相とは〈ポルティモネンセ史〉
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2022/05/19 11:02
ポルティモネンセのクラブ内施設には中島翔哉の写真が大きく飾ってある
<2018年>
FW長島滉大(FC今治から/現奈良クラブ)
<2019年>
GK権田修一(サガン鳥栖から/現清水エスパルス)
SB安西幸輝(鹿島アントラーズから/現鹿島)
<2020年>
MF西村拓真(CSKAモスクワから/現横浜F・マリノス)
<2021年>
GK中村航輔(柏レイソルから)
FW川崎修平(ガンバ大阪から)
さらに、Uー23にもFW中野優太(23)、MF廣澤灯喜(19)、浅野葵(20)の3人が在籍し、リーガ・レヴェラソン(基本的に23歳以下の選手によるリーグだが、23歳以上の選手も各チーム2人までプレーできる)で腕を磨いている。また、2020年9月から日本人マッサージ師(戸田圭星さん)が選手たちの体のケアを担当している。
ちなみに、中島は2019年2月にアル・ドゥハイル(カタール)へ日本フットボール史上最高額の3500万ユーロ(約48億円)で移籍。これは、ポルティモネンセにとってもクラブ史上最高額の移籍金だった。
中島翔哉や権田修一も研鑽を積んだ
その後、中島は7月にポルトガル屈指の強豪ポルトへ移籍する。
しかし、次回の記事で説明するような事情もあって昨年1月、アル・アイン(UAE)へ貸し出される。ところが、練習中に腓骨を骨折し、靭帯も損傷して長期欠場。6月末に期限付き期間が満了してポルトへ戻ったが、やはり監督の戦力構想から外れ、8月末、古巣ポルティモネンセへ期限付き移籍した。10月に故障から復帰し、以後はトップ下もしくは左ウイングとして先発出場を続けており、かつてのようなキレのあるプレーを取り戻しつつある。
GKの権田は当初こそ控えだったが、2019-20シーズンの後半からレギュラーとして活躍。このクラブでの成長を糧として、2019年以降、日本代表の絶対的なレギュラーとなっている。さらにサイドバックの安西は、在籍した2シーズンに渡って右SBもしくは左SBを任され、54試合に出場して1得点1アシストを記録した。
このように、とりわけ2013年以降、ポルティモネンセと日本のフットボールは非常に密接な関係にある。
ポンテ副会長は「我々は日本人の能力、特性、メンタリティを熟知しており、欧州での飛躍を目指す日本人選手に最高の環境を提供している」と胸を張る。そして、「若くて才能に溢れ、大きな野心を抱く日本人をこれからも積極的に獲得していきたい」と語っている。
<#3へつづく>
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。