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《追悼》“グラブ作りの名人”が生前語っていた「最も難しかった注文」とは? 星野仙一は“小さい”、鈴木啓示は“重い”の納得のワケ
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKazuhito Yamada
posted2022/04/11 11:00
イチロー氏や星野仙一氏ら、名だたる名選手のグラブを手掛けた坪田信義さん。名工が語った「最も難しかったグラブ」とは
筆者はそんな全盛期に、あえてイチローの話題を外し、投手のグラブに限定してインタビューしたことがある。対象は1970年代。まさにミズノが日本プロ野球に食い込み、ユーザーを増やしかけていたころの話である。
「堀内さんはね、ピッチャーに飛んでくるゴロは恐ろしいと。こうおっしゃっていましたわ。だから捕れなくてもいい。はたき落とせたら拾ってアウトにできるからと」
ダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデン・グラブ賞)7度。投手では史上唯一の満票(1972年)受賞をしている堀内恒夫は、革よりも芯にこだわった。両サイドに入れる芯を通常より厚く、硬くした。捕るよりも止めるための用具だった。
「山田さんのは、堀内さんのより、少しだけ大きかったです。リクエストはグラブのどこにボールが当たっても、中に収まる、転がっていくような形にしてくれと」
阪急黄金期の絶対的エースだった山田久志も、ダイヤモンドグラブ賞5度の名手。高校時代に内野手だったからか、打球を逃がさないことに重点を置いた。内に向けて丸まるような形状にし、山田の要望に応えた。
異例だった“星野仙一のリクエスト”
投手用グラブの大原則は、打球が強く、打者からボールの握りを見られないために、まずは深いこと。そしてウェブ部分(親指と人さし指の間にある網)は当時主流の編み目タイプがほとんどだった。ところが、そんな常識から外れたグラブをオーダーする投手がいた。
「星野さんですわ。大きさとしてはほとんどショート用と変わらんくらいでしたね。ポケットも浅いから、本当に打者から握りが見えていたんと違うでしょうか。ですから、こちらから、もっと深いの作りましょか、と提案したこともあるんです。でも星野さんの答えはいらない、と。握りくらいわかったって打たれるかい、くらいの気持ちだったのかもしれませんね」
さすがは燃える男・星野仙一である。