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松山英樹マスターズ優勝を支えた“チーム松山”の絆「みんな英樹が好きだから。彼を好きじゃないとやっぱり頑張れない」
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byAP/AFLO
posted2022/04/07 17:02
マスターズを制覇した松山英樹。グリーンジャケットを羽織った後、サポートしてくれた飯田光輝トレーナー、早藤将太キャディ、目澤秀憲コーチを呼び寄せ写真に収まった
米国転戦中、飯田はジョーダン・スピースのトレーニングジムや、ダスティン・ジョンソンらが師事するトレーナーを訪ねたことがあった。バハマではタイガー・ウッズの指導者にも助言を求めるなど、自分のスキルアップに労を惜しまなかった。
13年に287.8ヤードだった松山の平均飛距離は昨年、自己最高の304.4ヤードに到達した。それでも年々記録が更新されていくツアー全体では34番目の数字。その事実に松山が満足するはずがない。
「例えば僕が『リッキー・ファウラーよりも飛ぶようになってきた』と褒めても、『でもまだダスティン・ジョンソンには20ヤード置いて行かれる』って返してくるんです」
クリアした目標はすぐに忘れ、次のステージに目が向く性格は近しい人には時に残忍でもある。飯田は「ホントに“イタチごっこ”ですよ」と苦笑いするのだ。
そんな松山の飽くなき向上心をチームで最も古くから知るのが、早藤将太キャディーである。前任の進藤大典からバッグを引き継いだのは19年だが、付き合いの始まりは中学時代に遡る。松山の3年時に明徳義塾中に入学し、ゴルフ部の先輩・後輩という関係性は大学時代まで続いた。
「松山のキャディ」を務める重圧
大学卒業後にはプロになった。実は飛距離においては松山と比べても遜色ないほどである。しかし日本のみならず中国にまで戦いの場を求めたが、選手としてはなかなか芽が出なかった。「25歳までに自立できなかったらゴルフはやめよう」。松山から声がかかったのは、そのタイムリミットがまさに過ぎた時期だった。
「決めたことをやり通す。途中で投げ出さない。妥協をしない人」。同じグラウンドで汗を流し、全国大会に一緒に出向いた学生時代。一流選手たちとしのぎを削る姿を間近で見るようになった現在。時間が経つにつれ、出会った頃に抱いた彼の松山評は揺るぎないものになっていった。だからこそ、経験のないキャディー業に転身後、心中には「僕でいいのかな?」という思いが居座っていた。
日米で名参謀として活躍した前任の進藤の存在は頼れる相談相手である反面、早藤には重圧でもあったかもしれない。「キャディーが代わって勝てなくなった」。そんな周囲の反応が耳に届かないはずがない。「早く松山さんに見合うキャディーにならないといけない」と焦りは募った。
優勝から遠ざかったこの4年は、松山がスイングを大きく変化させた時期でもあり、後輩への非難は結果を出せない松山自身をも辛くさせた。2年前のある日、早藤がいないところではこう語っていたものだ。
「キャディーの力は重要。違いは1日で0.5打かもしれないけれど、それなら4日で2打違う。その差で勝負が決まる。2つの目より、4つの目のほうが情報をたくさん集められる。将太には将太の、より選手目線での見え方がある」
弟分の力を信じて、必要としていたのは松山に他ならなかった。
「僕が大典さんになることを松山さんは望んでいなかった」。そう気づいた早藤は、作られた型にはまるのではなく、自然体でのサポート術を模索した。試合で昔話に花を咲かせたり、プライベートラウンドで先輩を真剣に追い詰めたり。「どんな試合でもいい。プロと勝ちたい」。その思いは年々強くなった。
マスターズの3日目を首位で終えた時点で、早藤のスマートフォンには多くの応援メッセージが届いていた。そのすべてに彼は「勝ちます」、「優勝します」と強い意志を込めて返信した。「『ベストを尽くします。頑張ります』ではなく、『勝つんだ』と自分に言い聞かせようと思ってました」