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松山英樹マスターズ優勝を支えた“チーム松山”の絆「みんな英樹が好きだから。彼を好きじゃないとやっぱり頑張れない」

posted2022/04/07 17:02

 
松山英樹マスターズ優勝を支えた“チーム松山”の絆「みんな英樹が好きだから。彼を好きじゃないとやっぱり頑張れない」<Number Web> photograph by AP/AFLO

マスターズを制覇した松山英樹。グリーンジャケットを羽織った後、サポートしてくれた飯田光輝トレーナー、早藤将太キャディ、目澤秀憲コーチを呼び寄せ写真に収まった

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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AP/AFLO

グリーンジャケットに袖を通したのはただ一人。だが、彼をすぐそばで支え、ともに戦う仲間がいた。トレーナーとして、キャディーとして、コーチとして、それぞれの迷いや葛藤を乗り越えた先に栄光があった。Number2021年5月14日特別増刊号『松山英樹 栄光のマスターズ制覇』(2021年4月30発売)より「一蓮托生の夢 “チーム松山”がオーガスタで微笑むまで」を配信します。※肩書きなどは全て掲載時のまま

 遥か遠くにあったはずの景色は夢ではなかった。

「グリーンジャケットがよく似合う。本当によく似合っている」

 泣きはらした後の目を細め、飯田光輝は感慨にふけっていた。

 満面の笑みで両手を掲げた松山英樹は、表彰式の記念撮影が一段落した頃、ロープの外に向かって手招きをした。仲間たちを呼び込んで、もう一度フレームに収まる。彼はある意味で、この瞬問のためにすべてを尽くしてきたのかもしれない。

 Iではなく、We――。PGAツアーの選手たちは記者会見などで自分のことを度々そう言い表す。ゴルフは個人競技だが、彼らは決してひとりで戦うわけではない。キャディーやコーチ、フィジカルトレーナーにエージェント……。各人がそれぞれプロフェッショナルであり、信頼で結ばれた関係性があって「We」になる。

飯田トレーナーに課せられた2つの任務

 かつて中嶋常幸の下でツアープロを目指し、トレーナーに転身した飯田が「チーム松山」に加わったのは、2014年のことである。日本で小田孔明らトッププロの身体をケアしていた前年の終わり、PGAツアーに本格参戦した松山に請われて米国に渡った。現メンバーとしては通訳のボブ・ターナーを除けば最古参になる。

 当初、飯田に課せられた任務は2つあった。まずは外国人選手に負けない強い肉体をつくること、そしてもう一つ、早急に着手しなくてはならなかったのが、松山の左手親指の痛みを取ることだった。

 この“持病”は松山のプロ生活に何度も影を落としてきた。発症時から原因が特定できず、飯田は一時帰国のたびに医師や専門家の見解を求め、全国を駆けずり回った。

 1年目の最中、劇的に改善が見られた松山はメモリアルトーナメントで初優勝。17年のブリヂストン招待までに5勝を挙げた。だが、18年初頭には付近の別の個所を痛め、1カ月半の離脱に至った。緊張感のある日々は今なお続き、飯田は世界のどこに向かうときも、重厚なアルミケースに入った低周波治療器を手放せないでいる。

パワーアップへの欲をコントロール

 故障への不安が付きまといながらも、松山はパワーアップヘの欲をむき出しにしてきた。飯田も「飛距離はPGAツアーで生き残るための最大の武器」と理解している。だが左手の不安も考慮して、過度なウェートトレーニングには傾倒させなかった。松山が本来持つ関節の軟らかさに着目し、身体の各ポイントをバランスよく鍛えて運動させる。追求したのは「竹のようなしなやかさを持った強さ」だった。

「英樹の身体はウェートトレーニングをするとすぐに筋肉量が増え、見た目も大きくなるタイプでしょう。彼もそれを望んでいたはずです。ただ、急激な筋カアップはケガのリスクも高まる。ゴルファーにはそれぞれスイングタイプがあり、彼のスイングの良いところを壊すわけにはいかない。何度もそう話し合ってきました」

 松山は「チーム」という言葉をこう解釈している。「自分と一緒に周りも向上していく。お互いを高め合える存在」だと。

【次ページ】 「ホントに“イタチごっこ”ですよ」

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