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藤井聡太“最年少名人”のチャンスは1回だけ… 60年で9例の「初の順位戦A級→1期で名人戦挑戦」羽生善治、谷川浩司以外だと誰?
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![田丸昇](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/6/3/-/img_63c0172edf1a3eec5d5017836b5eb9301895.jpg)
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byKyodo News
posted2022/03/16 11:00
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藤井聡太五冠が19歳にして挑む順位戦A級。果たして「最年少名人」への道はつながるか
加藤は1958年2月に最年少記録の18歳1カ月でA級八段に昇進し、「神武以来の天才」と称された。新名人の誕生が大いに期待された。しかし、1960年の名人戦で大山康晴名人に挑戦して1勝4敗で敗退し、1973年には後輩の中原名人に挑戦して4連敗で敗退した。
その加藤の悲願が叶ったのは1982年の名人戦。中原との10局(持将棋、千日手局を含む)に及ぶ激闘を4勝3敗で制し、名人を42歳で獲得した。加藤は最終局で勝利を確信したとき、「あっ、そうか。なるほど……」と叫んだという。後年にそれについて、「いつの日か名人になれると信じて精進してきたことが叶うんだ、という万感の思いが込められていたのです」と述懐した。
中原誠も4期、最年少名人の谷川浩司は?
中原十六世名人はA級に最短の4期で昇級した。
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1966年度C級2組・12勝0敗で昇級
1967年度C級1組・11勝1敗で昇級
1968年度B級2組・11勝1敗で昇級
1969年度B級1組・10勝3敗で昇級
中原の4期にわたる順位戦の通算成績は44勝5敗(.898)。
中原はA級2期目に名人戦の挑戦者になり、1972年に大山名人を4勝3敗で破って、24歳の最年少記録(当時)で名人を獲得した。
谷川浩司九段はA級に5期で昇級した。
1977年度C級2組・8勝2敗で同成績5位
1978年度C級2組・8勝2敗で昇級
1979年度C級1組・9勝1敗で昇級
1980年度B級2組・10勝0敗で昇級
1981年度B級1組・10勝2敗で昇級
谷川の5期にわたる順位戦の通算成績は45勝7敗(.865)。
谷川はA級1期目で名人戦の挑戦者になり、1983年に加藤名人を4勝2敗で破って、現在も最年少記録の21歳2カ月で名人を獲得した。
羽生善治がA級昇級まで「7期」かかったワケ
ちなみに羽生善治九段は、順位戦でC級2組、C級1組、B級2組に各2期在籍したことで、A級昇級まで7期を要した。毎期8勝以上したのだが、前記の3クラスでベテラン棋士らに敗れたのが響き、同成績順位下位によって昇級を逃したこともあった。
羽生の7期にわたる順位戦の通算成績は63勝9敗(.875)。
羽生はA級1期目で名人戦の挑戦者になり、1994年に米長邦雄名人を4勝2敗で破って、23歳で名人を獲得した。
藤井五冠はA級昇級を決めた対局の後、記者会見で次のように語った。
「今期は本局(最終の佐々木七段戦)を含めて苦戦の将棋が多く、課題も多かったです。昇級できない可能性もあったと思うので、何とか昇級という結果を出すことができてほっとしています。来期はA級という舞台で戦えることは楽しみです。挑戦者争いにからめるように頑張りたい。名人という称号は、江戸時代から続くものなので、そういう重みがとても大きいと思います」