ロックンロールとしてのベースボールBACK NUMBER
改装した東京ドームだけど… 音楽的には「後楽園時代からタイガース(沢田研二)の本拠地」だった?〈球場コンサートの元祖〉
text by
スージー鈴木Suzie Suzuki
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/03/03 17:00
マウンド視点で見た後楽園球場。後方の東京ドームを含めて、ライブ会場としても存在感を放った
答えは68年、沢田研二を擁する大人気GS(グループサウンズ)=ザ・タイガースなのでした。当時のメンバーは沢田研二に加えて、加橋かつみ、瞳みのる、岸部修三(現:一徳)、森本太郎。
そのとき(68年8月12日)の模様を収めた映像が、DVDボックス『THE TIGERS FOREVER』(ユニバーサルミュージック)で見ることが出来ます。付属の資料には「日本人アーティスト初の後楽園球場単独コンサートであり、我が国におけるスタジアム・コンサートの幕開けとなった」と書かれています。
1951年に大阪で「歌のホームラン」に出演したのは?
ただし、球場コンサート自体は、日本において、このときが初めてではありません。当のタイガース自身も、その前月=7月22日に西宮球場で開催していますし、さらにずっと前、1951年には、美空ひばりが「大阪難波スタジアムで『歌のホームラン』に出演」したと、彼女の公式ウェブサイトに書かれています。
ただ、タイガースの西宮球場コンサートには、当時人気絶頂のフォーク・クルセダーズなども出演したようで(余談ながら、タイガースもフォーク・クルセダーズも京都出身で、かつ1967年デビュー)、要するに「単独」というところに大きな意味があるのです。
このコンサート、65年にビートルズが、米国ニューヨークのシェイ・スタジアムで行ったライブの影響下で企画されたものでした(余談ですが、この球場名、「シェイ」ではなく「シェア」と長らく表記されていましたね)。
ビートルズのシェイ・スタジアムと同様、タイガースの後楽園コンサートも、二塁ベース付近にステージを設置 しました。そして、現在の球場コンサートとの大きな違いは、ビートルズもタイガースも、いわゆる「アリーナ」に人を入れていないこと。客席は内野席のみ。
実は、1978年のキャンディーズのときは、外野のフィールドにステージを設営して「アリーナ」に観客を入れるという、現在の球場コンサートに近い形になっています。その2年前=1976年に、イベントに使い勝手のいい人工芝が敷かれたことと関係があるかもしれません。
DVDでコンサートの様子をチェックしてみると
コンサートの様子を、先のDVDでチェックしてみます。まずは何といっても、昭和の後楽園球場のたたずまいが懐かしい。カメラはまず球場の外観を映すのですが、壁に掲げられた試合の予定表にある「産経」「大洋」などの文字に和みます。
驚くのは、内野にも天然芝が敷かれていることです。甲子園のような土の内野ではなく、マツダスタジアムや楽天生命パーク宮城のように美しい内野の芝に魅せられます。これぞ、長嶋茂雄や王貞治の内野守備における勇姿を盛り上げた天然芝――。