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“野村克也監督の解任劇”が籠城事件に発展、内情を知る水島新司は『あぶさん』で… 柏原純一「本当に野球が、南海が好きな方でした」
posted2022/01/25 17:03
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Sankei Shimbun
漫画家の水島新司さんが、1月10日に亡くなった。王貞治さん、松坂大輔さんら野球界の名だたる大スターがその死を悼んだのは、水島さんが漫画界の巨匠だというだけでなく、すばらしい「野球人」だと認められていたからだ。
野球漫画の主人公といえばピッチャー以外に考えられなかった時代に、キャッチャーを描き、代表作に育て上げた。ジェンダー論どころか男女雇用機会均等法が施行されるはるか前に、女性のプロ野球選手を誕生させた。そして現実の世界で50歳の現役選手が現れるはるか前に、景浦安武は還暦を過ぎるまで、岩田鉄五郎は古希を超えるまでプレーした。水島さんの漫画はフィクションではあっても決して奇想天外ではなく、確かな知識と先見性に基づいていたのだ。
なぜ、『あぶさん』は南海ホークスだったのか
「あぶさん」が入団したのは、南海ホークスだった。ご承知のように登場する野球選手は、景浦親子を除けばほとんどが実在だ。それなのに、なぜ巨人や阪神のような人気球団ではなく、南海だったのか。事情を推測できる人物がいる。
「水島先生は駆け出しのころ、大阪球場の近くに住んでおられたという話を聞きました。だから難波あたりの居酒屋の描写にもリアリティがあったでしょ? 今でも忘れられないことがあるんです。当時のホークスは(和歌山県の)田辺でキャンプを張っていましたが、そこに水島先生がホークスのユニホーム姿で駆けつけてくれたんです。本当に野球が、南海が好きな方でした」
南海、日本ハム、阪神でプレーし、通算1437安打、232本塁打を放った柏原純一さんである。水島さんが故郷の新潟で高校進学をあきらめ、働きながら漫画家になる夢を追ったのが大阪球場近くだという。ミナミのネオン街に囲まれ、カクテル光線で浮かび上がるスタジアム。そこには人情と酒と野球があった。