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「マックスが出せました」スノーボードW杯ビッグエアで圧勝の岩渕麗楽、悔恨の平昌五輪から4年で磨いた「心」とは 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byGetty Images

posted2021/12/19 17:03

「マックスが出せました」スノーボードW杯ビッグエアで圧勝の岩渕麗楽、悔恨の平昌五輪から4年で磨いた「心」とは<Number Web> photograph by Getty Images

ワールドカップ最終戦を制し、北京五輪へ順調な滑り出しを見せる岩渕。法政大学在学中の20歳だ

 平昌五輪は、悪天候に見舞われ、競技日程が変更されるなど混乱をきたしていた。ビッグエアもその影響を受け、決勝は23日から22日に繰り上げられて実施されることになった。それにとどまらず、日々、強風などの問題がクローズアップされ、他競技の選手も含め不満が出る状況があった。

 岩渕もそれに影響された面は否めない。

「だから天気が悪いコンディションにも対応できるように全部磨かないと」と、反省を言葉にした。また、「自分に集中できなかった」ことも、課題として残った。

 悔いる一方で、だからこそ、すぐさま次のオリンピックへ目を向けた。

「4年後、この舞台にチャレンジするには(技の)回転数をあげていかないといけないと思います。レベルアップをしていかなければいけないです」

 迎えた今回のワールドカップ最終戦は、「自分のマックスの技が出せました」と本人は振り返る。

 その背景には、平昌で感じた課題の克服という意識があった。

「誰かの滑りで(自分の繰り出す技を)変えるのではなく、自分が決めたことに集中するほうが合っていると思います」

 他の選手のパフォーマンスや得点に左右されることなく、自分のできるパフォーマンスに気持ちを向けること。それができたことで優勝という結果につながった。そしてそれは自分に集中できなかったという平昌五輪での課題を克服したことを示す言葉でもあった。

 両親にスキー場に伴われ、4歳でスノーボードを始めた岩渕は、決して恵まれた環境で育ったわけではない。スキー場に行けるのは週末、あるいは夏休みなど長く休みがとれるときに限られていた。それをハンディととらえず、冬場には朝から滑り始め、ナイターまでスキー場にいることもあったという。限られた時間を使って、めいっぱい取り組み、滑りや技を磨いて成長を模索した。吸収力の高さもあり、限られているからこそ、有限な時間を無駄にせず、貴重な糧としてきた。

 そうした土台があって平昌五輪出場に結びつき、そして今、オリンピックの表彰台をより近く意識できるところにまでたどり着いた。

 それでも安心はしない。

「慢心することなく、完成度を高めていきたいと思います」

 ビッグエアは国内にも鬼塚雅や村瀬心椛など上位を狙える有力選手がひしめく。その中にあって、平昌五輪から着実に成長した姿を見せた岩渕は、もうすぐ近くに迫った2度目の大舞台での飛翔を期している。

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