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M-1審査員9回目、上沼恵美子66歳が“引退した日”「結婚したらやめる…」中学2年で芸能界入りした“伝説”、上沼はどんな漫才師だった? 

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/12/19 11:04

M-1審査員9回目、上沼恵美子66歳が“引退した日”「結婚したらやめる…」中学2年で芸能界入りした“伝説”、上沼はどんな漫才師だった?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

上沼恵美子66歳、今年9回目のM-1審査員を務める。中学2年で芸能界入りした上沼はどんな漫才師だったのか?

 1994年と1995年にはNHKの紅白歌合戦の紅組司会を務めている。94年は『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』(朝日放送・テレビ朝日系)が始まる前年で、全国的な知名度はまださほどでもなかった。それだけに紅白司会は異例の抜擢だった。白組司会は両年とも古舘伊知郎で、東西のトークの達人によるバトルは話題を呼ぶ。ちなみに素人時代のライバルである天童よしみは、1993年に紅白に初出場したものの、その後1997年まで出場がなく、上沼と紅白での共演は実現しなかった。

なぜ上沼は東京進出しなかったのか?

 紅白出演後、東京のテレビ局からレギュラーの話が11本来たが、すべて断ったという。その理由には、もともと夫からは仕事していいエリアは「西は姫路、東は京都まで」と言われていたというのもあるが、本人も東京に出る気は一切なかった。20年ほど前のインタビューでは次のように語っている。

《みなさん、全国区になるのが芸能人として最高やと思ってはるみたいで、ちょっと売れたら東京へ行くでしょ。「なんでやろ」と思う。大阪にいて、これと思ったものだけをやっていく、ということがなんでできないんやろ、と。特にこういうおしゃべりみたいな仕事は、大阪のほうが勉強になるのにねえ(笑)。若い子が東京で勝負するというのはいいんですけど……》(『婦人公論』2002年12月7日号)

 紅白出演以前より各地から講演の依頼は多く、月に2回だけと決めて家庭論などを語っていた。テレビやラジオのレギュラー番組を何本も抱え、多忙をきわめながらも、けっして家事は手を抜かなかったというのが彼女の自慢だ。上沼は主婦業をこなしながら芸能活動を続けるタレントの走りでもあった。

昨年は「引退も考えた」

 ここへ来て、前出の『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』が来年春、放送開始27年を区切りに終了すると発表された。同じく関西ローカルの長寿番組だった『快傑えみちゃんねる』(関西テレビ)も昨年、開始から25年にして終了している。同番組は上沼の「降板」という形で突然打ち切られ、その理由もスタッフから説明がなかったらしい。思わぬ処遇に大きな衝撃を受けた彼女は、引退も考えたという。それでも、いまはやめるタイミングではないと思いとどまった。今年、『文藝春秋』8月号に発表した手記では、《おしゃべりだけで行けるところまで行きたい――。/昨年身を引くことも考えましたが、いまはそんな気持ちです》とつづっている。

 M-1での審査に対しては、かつて出場芸人から感情だけで審査していると批判されたこともあった。しかし、これまでに上沼が最終決戦で投票した9組のうち5組が優勝、しかもこのうちの4組は決勝ファーストラウンドでその年の自身最高評点をつけて最終決戦に送り出している。このデータからすれば彼女の芸人を見る目はけっして曇ってはいない。何より漫才という芸そのものに最大限のリスペクトを払っていることはたしかだ。先の手記では、《関西の片隅で仕事を続けてきて、やっぱり漫才が最高の芸だと思います。この世でいちばん難しい。マイク一本を二人で挟んで、お客さんを爆笑させる芸は他にありませんし、少しでも間を外すと「シーン」ですからね》と書いていた。M-1の審査員を続けているのも、そんな漫才愛ゆえだろう。果たして上沼は今年、ファイナリストたちにどんな評価を下すのだろうか。

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