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「M-1」ラストイヤー(結成15年)のハライチはここで誕生した…埼玉県の“ナゾのM-1駅”「原市(ハライチ)駅」には何がある? 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph byMasashi Soiri

posted2021/12/19 11:00

「M-1」ラストイヤー(結成15年)のハライチはここで誕生した…埼玉県の“ナゾのM-1駅”「原市(ハライチ)駅」には何がある?<Number Web> photograph by Masashi Soiri

埼玉新都市交通(ニューシャトル)の原市駅。人気コンビ・ハライチを生んだ街には何がある?

 線路沿い(というか高架沿い)は緑道のように整備されている。そこを少し北に向かって進む。まもなくクルマ通りの多い大通りとの交差点。地図を見ると、この大通りは第二産業道路というらしい。産業道路の名にふさわしく、トラックが盛んに行き交っている。

 第二産業道路をわたってさらに少し歩く。すると、「原市大通り」と表示されたちょっとした商店街のような一角に出た。商店街と言ってもアーケードがあったりするわけではないが、駅前の住宅地とはまた雰囲気が明らかに違う生活感の溢れる街並みである。もしかすると、ここが古くからの原市の中心地なのかもしれない。

江戸時代、原市は“市場の町”だった

 というわけで原市の歴史を調べてみると、想像した通り原市の町はこの原市大通りが古い中心地であった。まだ新幹線もニューシャトルも通っていない昭和はじめの地図を見ると、ちょうど原市大通りのあたりだけが集落になっていたことがわかる。

 原市はその名に“市”とあるとおり、江戸時代には毎月3・8の日に市が開かれる市場の町だったという。上尾市の中心部で、中山道から分岐した鎌倉街道の道筋に含まれており、近世以来の歴史のある町というわけだ。ただし、ニューシャトルが開通するまでは鉄道に恵まれなかったこともあって、大宮からほど近いにもかかわらず都市としての発展は遅れている。

 本格的に住宅地として開発されたのは1960年代にはじまった原市団地の建設である。原市団地は古くからの原市とは線路を挟んで東側。駅からは少し離れたところに設けられている。

 その原市団地から原市駅の東側にかけては戸建て住宅が中心の住宅地。原市大通り、原市団地、そして原市駅東側の住宅地といった具合で開発が進んできたのであろうか。

【次ページ】 広々とした国道とトラック

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