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北京五輪へ死角なし! レジェンド葛西の記録を弱冠24歳で塗り替えたジャンプ・小林陵侑の才能の源泉と成長の足跡
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJIJI PHOTO
posted2021/11/28 17:00
スーツの規定違反で失格となったW杯第2戦の小林陵侑。ジャンプそのものは好調を維持している
欧州メディアから「他の惑星の人間」と評されたこともあるように、まぎれもなく世界のトップジャンパーの1人となれたのは、1つには備わっていたスポーツの地力ゆえだろう。岩手県出身の小林は、小学生の頃、県の発掘・育成事業の対象者に選ばれた。事業でさまざまな運動に取り組む中で能力を評価され、ラグビーやレスリングへの適性も見出された。
小林はその中でジャンプ、そしてノルディック・コンバインドに打ち込んでいった。ノルディック・コンバインドでは高校時代に国体の少年の部で優勝するなど成績を残したが、ジャンプで華々しい成績を残したわけではなかった。
そこからジャンプへ専念することになったのは飛行時の姿勢などからジャンプの能力のポテンシャルを見出されたからだ。見出したその人が、「レジェンド」葛西紀明であった。
レジェンド直伝のジャンプの技
葛西の勧誘を受け、葛西が監督も務める土屋ホームに入社する。葛西は踏切時の動作など培ってきた技術を惜しみなく小林に教えた。それが今日につながっているし、その成長ぶりからは小林の吸収力も相当のものであったことを思わせる。
実は日本選手のワールドカップ最多勝記録は、小林が更新するまで葛西が保持していた。自身の記録を破られて、葛西はこうコメントしている。
「僕が何年もかけて積み上げた記録を24歳で抜かれたのは悔しいですが、自分のチームの後輩なのでとてもうれしいです」
監督兼選手である葛西の、愛情のこもった言葉だった。
小林は今夏、YouTubeチャンネルを開設した。
「ジャンプを1人でも多くの方に楽しんでいただけたらいいなと思ってはじめました」
冬季競技は海外遠征が日常のように多く、そして決して中継も多くはないから目にしてもらう機会は相対的に少ない。競技人口も先行きが不安視される。情報を自ら発信する姿勢からはこの競技を背負っているという使命感がうかがえる。
そして注目を集めるという点では、どうしてもオリンピックがいちばんの舞台になる。
小林はコロナ禍の影響で、北京オリンピックのテスト大会には参加できなかった。それでも、こう語る。
「北京のジャンプ台は飛んだことがないんですけど、楽しみですね。すごく冷えてるというし、風もどんな感じなのか。楽しみです」
約2カ月後の大舞台を視野に、まずはワールドカップを1戦1戦、進んでいく。