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甲子園4強から茨の道に…大学不合格、3度のクラスター、監督解任、試練を乗り越えた中部学院大の主将「感謝でいっぱい」

posted2021/11/26 17:01

 
甲子園4強から茨の道に…大学不合格、3度のクラスター、監督解任、試練を乗り越えた中部学院大の主将「感謝でいっぱい」<Number Web> photograph by Yu Takagi

明治神宮大会に出場した中部学院大の主将・廣部就平。活動ができない時期を乗り越え、大舞台にたどり着いた

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高木遊

高木遊Yu Takagi

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Yu Takagi

「試合できるかどうか分からない状況からのスタートだったので感謝の気持ちでいっぱいです」

 明治神宮野球大会・大学の部。中部学院大学は2回戦で神奈川大学に5-12の8回コールド負けを喫し、初戦敗退に終わった。

 主将としてチームを牽引し、自身としても3年ぶりに神宮のグラウンドに立った廣部就平(4年)は、試合後の取材で何度も「感謝」という言葉を口にした。さまざまな困難を乗り越えたからこそ、その言葉には重みがあった。

甲子園4強、六大学進学も視野に

 大阪のオール枚方ボーイズから熊本・秀岳館高に入学した廣部は、正三塁手として甲子園3季連続の4強入りを果たした。高2年冬の時点で声をかけてもらった東京六大学の大学に進み、学生野球の聖地・神宮球場でプレーする――そんなエリート街道を歩む自分の姿を思い描けるほど、充実した高校時代を過ごしていた。

 しかし、その推薦試験で廣部はまさかの不合格に。すでに他大学や社会人チームへの推薦枠や入社枠が埋まっている時期だったこともあり、廣部は行き場を失くした。

 そんな廣部に手を差し伸べてくれたのが、秀岳館高の鍛治舎巧監督(現・県岐阜商高監督)と懇意である中部学院大の原克隆監督だった。鍛治舎監督は「一番になればいい。どこの場所でも常に一番だったら輝ける」と励まして入学に背中を押してくれた。

 東京六大学リーグに比べれば空席の目立つ岐阜学生リーグが主戦場。それでも廣部は「やるべきことをやるだけ」と、1年時から心を切り替えて野球に専念した。

「SNSで東京六大学野球の映像を観て“いい雰囲気だなあ”と思うことはありましたが、試合が始まってからは“自分のプレーでチームを勝たせたい”という気持ちでプレーしていたので苦には一切なりませんでした」

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