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「立浪イズム」を考える――新監督の所信表明で思い出される星野仙一と“あの名将”〈20年前に中日で起きた“ベンツ論争”とは?〉
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKYODO
posted2021/11/01 17:03
10月29日、立浪和義の新監督就任が発表された。所信表明から浮かんだ“立浪イズム”を考えてみたい
レギュラー確約はビシエドと大島洋平のみ
「私はそんな言葉はかけません」と苦笑いで答えたが、ファンは自然と「立浪監督にも背番号77番を」と継承ストーリーを求める。それを知っているからこそ、立浪監督はかわした。が、否定もしない。そこで最も信を置き、同じく星野監督の薫陶を受けた落合英二ヘッド兼投手コーチに、77番をつけるよう頼んだのだ。
「ベンチに77番は必要ですから。落合コーチがつけていれば、僕も見ることができるので」
投手中心、センターラインをがっちりと固めて守り勝つ野球を標榜する。同時に、近年下位に低迷する最大の要因となっている貧打線については「必ず何とかします」と頼もしい。レギュラーだと認めたのはダヤン・ビシエドと大島洋平だけ。主将の高橋周平にも選手会長の京田陽太にもお墨付きは与えず「あとのポジションは競争になる」と危機感をあおった。
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その一方で「勝ちに対する執念を、しっかりと選手には植え付けたい」と言い切るところは、星野野球を想起させる。マスコミにも「いい時は選手をたくさん褒めてやってください。悪い時には叱咤いただき、選手がなにくそという気持ちで頑張ってくれるチームをつくりたい」と要望。まさしく「番記者も戦力だ」と言い続けた星野イズムである。
20年前に起きた“ベンツ論争”とは
では明言こそしなくても、やはり理想像は「星野スタイル」なのかと言われれば、必ずしもそうではない。意外な監督とのハイブリッド型である可能性が見えてくる。それを説明するには、20年ほど前のドラゴンズで巻き起こった「ベンツ論争」から始めなければならない。
当時のチームは豪快なホームラン打者である山崎武司と、リーダーシップがあり、好守、好打の立浪が野手の看板を背負っていた。あるとき、若手選手が一念発起、ベンツを購入した。ところが、その選手にはまだ実績がない。「プロ野球選手は夢を売る商売だ。車に負けない活躍ができるよう、励みにすればいい」と山崎は奨励したが、立浪は「返してこい」と言った。「実績を残してからいくらでも買え。そんな浮ついた気持ちでは野球に身が入らない」というド正論だ。
間にはさまれた“若手くん”が右往左往したベンツ論争と根は同じなのだろうが、立浪は茶髪、ひげ、ロン毛も嫌っていた。この2つの話が、ある大御所の耳に入った。
野村克也である。