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「『負け馬ばかり宣伝する』とバカにされていた」1日8億売上げ…高知競馬を救った“ハルウララ旋風”の舞台裏
posted2021/11/06 11:04
text by
緒方きしんKishin Ogata
photograph by
フォトチェスナット
ゼロ年代前半、高知競馬は苦境に立たされていた。次の赤字は出せない…そんな切迫した状況を救ったのは、勝ち続ける馬ではなく負け続ける馬、ハルウララだった。高知競馬の関係者が藁にもすがる想いで送ったニュースリリースが、やがて日本全国を巻き込む一大ムーブメントを巻き起こしていくことになる。
競馬を愛する執筆者たちが、ゼロ年代前半の名馬&名レースを記した『競馬 伝説の名勝負2000-2004』(小川隆行+ウマフリ/星海社新書)から一部を抜粋して紹介する。〈クロフネ編、ネオユニヴァース編に続く〉。
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ブレイク直前の高知競馬、累積赤字は88億円
「高知競馬が廃止の瀬戸際だった時代ですね。高知県へ四半期ごとに財政報告をして、赤字が出るとアウトという状況です。なんとか打開せねばと、毎朝、高知県競馬組合管理者と共に、人を呼ぶためのアイディアをひねり出すための会議をしていました」
ハルウララのブレイク直前、高知県競馬組合の広報だった吉田冒史さん。88億円にもおよぶ累積赤字を高知県・高知市が負担することになり、次の赤字は出せなかった当時のことを「何かしなくてはいけないと思う日々だった」と振り返る。毎朝の激論は、長時間に及ぶことも度々あったという。その際、吉田さんの脳裏に浮かんだのは、昔の高知競馬で見た光景だった。
「若手の頃、特に宣伝もしていないのに人がぞろぞろ入ってくる日があったんです。あとで調べると、ハッコウマーチという名馬が出走している日でした。競馬新聞『中島高級競馬號』では二重丸より上の印である二重四角がついているほど強い馬。なんといっても26連勝したんですから。その時に『ああ、宣伝しなくてもスター馬がいれば人は来るんだな…』と思ったんです。だからこそ、高知競馬存続の危機には、スター馬の登場が一番手っ取り早いと考えていました」
その考えに共感したのが、高知競馬の実況を担当する橋口アナ。ピックアップされたのは、ハルウララではなく、イブキライズアップという馬だった。こちらは、中央で一戦して高知に移籍し、3戦目からは怒濤の連勝街道を突き進んでいる『強い』スター馬。すぐにニュースリリースを報道各社に送付した。芦毛というのも、地方からスターホースとなったオグリキャップを連想させた。
「その作戦はうまくいきました。騎手の奥様方もグッズを自分たちで作ってくれるなど、非常に協力してくれましたし、次第にイブキライズアップの知名度は上昇。ファンも増えましたし、試しに作ってみたTシャツも売れました」
“負け続ける馬”との出会い
しかし、その流れは長くは続かなかった。イブキライズアップが遠征後に調子を崩してしまったのだ。他にスター候補はいないか――その当時、イブキライズアップのTシャツ10列に対して隅っこの方に1列だけTシャツが置かれている馬がいた。それがハルウララだった。