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「『負け馬ばかり宣伝する』とバカにされていた」1日8億売上げ…高知競馬を救った“ハルウララ旋風”の舞台裏
text by
緒方きしんKishin Ogata
photograph byフォトチェスナット
posted2021/11/06 11:04
廃止危機の高知競馬を救ったのは、負け続ける馬・ハルウララだった
「何も調整せずに口にしてしまったので方々から怒られましたが、それでも話は進み、武騎手が高知に来てくれることになりました。それ以降は電話が鳴り止まず、旅行会社からは『特別観覧席450席を全席貸し切りたい』というオファーがあったり、入場規制やマスコミ対応などの検討にも追われました。武騎手が来る1週間前からは泊まり込みでしたね」
「見たことのない雰囲気の競馬場になっていました」
ハルウララに武騎手が騎乗する2004年3月22日、見たこともない行列が高知競馬場前にできていた。開門を1時間早め、昼頃には入場制限をするほどの大盛況。高知の交流重賞・黒船賞が開催される日でもあったため、安藤勝己騎手や武幸四郎騎手らも来場して盛り上がりに拍車をかけた。
「多くの方がレース前からニコニコと笑っている、見たことのない雰囲気の競馬場になっていました。1日の売り上げが8億6904万円にもなったんです。翌日、宗石調教師にそのことを伝えると『高知競馬の役に立ててよかった』と涙を流して喜んでくださいました。その日をきっかけに、ようやく周囲も優しくなりましたね」
ハルウララの巻き起こしたブームを、吉田さんは「高知競馬が全国に認知されるきっかけになった」と振り返る。ハルウララの話題は海を越え、アメリカからもファンが来るほどだった。アメリカで短編映画が作成されたこともあった。
「ハルウララが引退してから、また大変な時代が続きました。高知競馬が本当に持ち直したのは、ナイターを始めたことがきっかけですね。職員や厩舎関係者も続々と減るなかで歯を食いしばりながら頑張った方々のおかげで、今の高知競馬があります」
今では売り上げ更新のニュースを耳にすることも多くなった高知競馬。ハルウララブーム、ナイター競馬などの実現に漕ぎ着けた関係者たちの惜しみない努力は、今、大きく実っている。
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