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《父子制覇》菊花賞の鉄則は「逃げたら勝てない」…セイウンスカイと“伝説の名騎手”の息子が成し遂げた「世代を超えた逃走劇」 

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石田敏徳

石田敏徳Toshinori Ishida

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/10/26 06:01

《父子制覇》菊花賞の鉄則は「逃げたら勝てない」…セイウンスカイと“伝説の名騎手”の息子が成し遂げた「世代を超えた逃走劇」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

後続を大きく引き離して京都競馬場のコーナーを回るセイウンスカイ。直線に入った時点で勝負ありという完璧な逃げ切りだった

 保田が見せてくれた家族のアルバムには、渡米時の休日に撮影された隆芳の私服姿の一枚があった。数頁先には「一隆、初めての運動会」とメモ書きされた写真が貼られている。前後の写真からすると、菊花賞を逃げ切った('59年11月)のはちょうどその頃になる。

「ハククラマは怖がりな性格で、逃げないと力を発揮できなかったという話は父から聞きました。でもさすがに僕自身の記憶はないですね」と保田は笑う。ハククラマは3歳秋に本格化。京王杯オータムH、セントライト記念をレコード勝ちして菊花賞へ進み、3000mの長丁場もレコードで逃げ切った。レース後、隆芳は「自分で息を入れるコツを呑み込んでいる馬です」と、セイウンスカイにも重なるコメントを残している。

父・隆芳の背中を追って競馬界へ

 隆芳の長男(姉との2人きょうだい)に生まれた保田は、物心ついた頃からずっと父への尊敬の念を抱いていた。それだけに「七光り」のレッテルがついて回る競馬の世界へ進む気はなかったが、父の友人たちは口を揃えて「保田の看板を一代で絶やすな」という。高校時代、競技スキーに打ち込んでいた少年は、周囲に押し切られた格好で獣医の大学へ進んで馬術部に入り、育成牧場で研修を積んで父の厩舎のスタッフとなった。

 七光りで突破できるほど調教師試験は甘くなく、10回以上も不合格を重ねたものの、'96年に念願の調教師免許を取得。その年、父の厩舎に馬を預けてもらっていた西山牧場へ挨拶に行き、出会ったのがセイウンスカイだった。好きな馬を選びなさい、と見せてもらった4頭のなかにいた芦毛馬は、薄い体つきでお尻が高く、お世辞にも見栄えのする馬ではなかった。

「見た目だけなら断然、別の牝馬のほうが上でした。ただ、厩舎の事情で牡馬がほしかったのと、シンボリ牧場に由来する牝系が魅力で、あの馬を選びました」

 母のシスターミルは西山牧場の代表・西山茂行が大きな期待をかけて購入した馬。母系を遡るとシンボリ牧場が輸入した米国産の繁殖牝馬に行き着く。もちろん保田が意識したわけではないが、先のハククラマもシンボリ(当時は新堀)牧場の生産馬で、運命の巡り合わせはつくづく不思議だ。

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