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藤井聡太三冠などトップ棋士の対局に使われる将棋盤の“秘密”とは「高級品は250万円」「道具は室町時代の日本刀」
posted2021/10/24 06:00
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph by
KYODO
棋聖戦防衛に続いて、王位戦、叡王戦とタイトル戦が目白押し。藤井聡太二冠の熱い夏がやってきた。
将棋や囲碁のタイトル戦では、開催地の名士が所有する由緒ある盤、もしくは対局のために名工が仕上げた盤が用いられる。創業1916年、埼玉県行田市で四代続く「吉田碁盤店」の高級品には250万円の値がつく。
盤には樹齢300年、ものによっては800年の榧(かや)の木が用いられ、伐採から15年ほど乾かされて盤に生まれ変わる。その工程は、かんな削り、足づくり、目盛りなどに分けられるが、同店三代目の吉田寅義さんによると「目盛りが最も緊張する」という。目盛りとは、漆でマス目の線を引く仕事を指す。
吉田碁盤店では、この目盛りを太刀盛りによって行なう。太刀盛りとは刃に漆をつけ、その反りを利用して線を引くこと。江戸貞享期に見られた工法を初代が完成させ、一子相伝、口伝によって継承してきた秘伝の技だ。
太刀盛りでは、繊細な漆の扱いが肝要。
「師匠の仕事を注意深く見守り、最後に片付けを任される。片付けをすることで、天候や気候によって微妙に変わる漆を、師匠がどう扱っていたか知ることができるのです」
太刀盛りは名工でも「怖くなる」仕事
仕上げた漆を今度は室町時代からの日本刀の刃につけ、線を引いていく。
「刃を切っ先から盤に当て、刃の反りを利用して手元まで引く。盤についた漆が引っ張られて刃から離れるとき、毛細管現象が起きて漆が球形の連なりになる。細くてもしっかりと盛り上がり、くっきりとした輪郭の滑らかな線が出る。それが吉田流太刀盛りです」
しかし、この道48年の三代目も、太刀盛りがときに怖くなるという。
「私は若いころ、先代の父に厳しく鍛えられ、毎晩風呂で泣いていました。太刀盛りは、わずかな心の動きも許されない仕事。日本刀を握ると厳格な父が脳裏に浮かんできて、萎縮することがあるのです」
修業時代、悔し涙にぬれる三代目に、母が温かい声をかけたという。
「初代や二代目が話していたけどね、太刀盛りの極意というのはどうやら“ゆっくりとおおらかにやる”ことらしいよ」
ゆっくりと、そしておおらかに――。
その心境に達することの難しさを知る三代目は、太刀盛りを一日2面までと決めている。名局の舞台となる美しい盤は、真摯に仕事に臨む名工の真剣勝負から生まれるのだ。