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京大→新潮社→未経験からラグビー日本代表に…リオ五輪代表の中嶋亜弥が振り返る“異色キャリアの誕生秘話” 

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荘司結有

荘司結有Yu Shoji

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posted2021/10/21 11:03

京大→新潮社→未経験からラグビー日本代表に…リオ五輪代表の中嶋亜弥が振り返る“異色キャリアの誕生秘話”<Number Web> photograph by Yu Shoji

女子7人制ラグビーでリオ五輪代表に選出された中嶋亜弥さん。実は“異色すぎる経歴”を持つラグビー選手である

 東大に現役合格する学力もあっただろう。なぜ京大を選んだのか。その選択に、その後出会うラグビーとの彼女なりの「共通項」がある。基本的な学力を重視する東大入試と比べ、思考力が試される京大入試。中嶋はここに「自分らしさ」を見出した。 

「正解を求めない京大の受験スタイルが自分に合っていました。3問しかない長文をひたすら英訳するような問題を『どうしたら伝わるんだろう』と考えたり、表現を工夫したりするのが楽しかったんです。

 私にとってはラグビーも京大入試と同じように、正解のないスポーツ。『こういう風にパスを投げれば飛ぶ』という形もあるようで実際はないですし、15人のメンバーの特性が違えば同じポジションでも一つのスタイルを貫くことはできない。私がラグビーから離れられない理由はそこにあるんだろうと思います」

衝撃の出会い「雷が落ちたような感覚に…」

 今だからこそ中嶋は京大入試とラグビーに自分なりの結びつきを発見できたが、実は中高大と所属したのはバレーボール部。それも、強豪とは程遠い環境だったという。

「私はバレーが大好きで勝ちたいという気持ちが強かったんですけれど……。高校時代は午後6時までに下校する決まりがあったり、テスト前は部活ができなかったりと勉強優先の学校だったので。そういう環境であるとは理解しながらも、自分と周囲との温度差に悩む時期もありました」

 大学では一時期、部員が2、3人まで減り、試合はおろか練習すらままならない時期もあった。そんな中、人生の転機となったのは大学4年の春。友人の応援に駆けつけた大学アメフトの名門、京大ギャングスターズの試合で、体重100キロを超える大男同士がぶつかり合うコンタクトプレーに、雷が落ちたような衝撃を覚えたという。

「タックルに来た選手をパンッ!って飛び越えたりクルンクルンって回ったりするのを見て『なんじゃこりゃ!』って雷が落ちたような感覚になって。かっこいい! やってみたい!って思ったんですよね」

「週刊新潮ならバレー、営業部ならラグビー」

 一方、時を同じくして東京の出版大手、新潮社への就職も決まった。幼少期から家族5人分の貸出カードを持って図書館に通い詰めるほど本好きの中嶋にとっては天職とも言える。

「社会に面白さや遊びを生み出す仕事がしたいと思い、その一つが私にとっては本を作る出版という仕事でした。部屋の本棚に並ぶ本の数が多い出版社から順に受けて、一番初めに内々定が出たのが新潮社でした。これがご縁だなって迷わずに決めたんです」

【次ページ】 競技歴数カ月で「代表候補のトライアウト」へ

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