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京大→新潮社→未経験からラグビー日本代表に…リオ五輪代表の中嶋亜弥が振り返る“異色キャリアの誕生秘話”
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph byYu Shoji
posted2021/10/21 11:03
女子7人制ラグビーでリオ五輪代表に選出された中嶋亜弥さん。実は“異色すぎる経歴”を持つラグビー選手である
当初は休日を使ってアメフトを始めようと会社近郊でクラブチームを探したが、女性を受け入れるチームが見つからなかった。「ほぼ一緒かな」と代案で浮上したのが、ラグビーだった。
「配属先が『週刊新潮』の記者ならバレーを続け、営業部ならラグビーを始めようと決めていました」
休日出勤の多い記者ならば土日に練習のあるラグビークラブとの両立は難しく、平日夜に練習するバレーチームに入る算段だった。配属は営業部。09年の入社とほぼ同時に東京・上井草を拠点とする女性ラグビーチーム、ワセダクラブに入会。主婦や中学生に交ざり週に1回、タックルの基本姿勢やルールを一から学んでいったという。
同時に、女子ラグビーも胎動期を迎えていた。
競技歴数カ月で「代表候補のトライアウト」へ
2009年10月、リオ五輪の追加種目に男女セブンズが正式決定。当時は国内で女子ラグビーが浸透しておらず、未経験者も含めた選手の発掘が始動した。「代表なんて雲の上の存在」。他人事に構えていた競技歴数カ月の中嶋にも代表候補トライアウトの声がかかる。中嶋がラグビーに歩み寄ると、歯車は運命的に噛み合っていった。
だが、本当の意味で「アスリート」となるには時間がかかった。
「ワセダクラブには適齢期の女性が私しかいないとトライアウトに送り出されたのですが、実際行ってみると23歳って若い方ではなかったんです。何なら続けてきた人の中ではベテランの域に差し掛かっていました。陸上やバスケで全国大会に出ているようなすごい子ばかりで気後れしちゃって……。人の輪にも入れず、何にもアピールできずに終わってしまいました」
167センチの大柄な体格や運動量が評価されて進んだ代表候補合宿ではあえなく落選。2年後に合宿に再招集されるも1年以上、代表デビューの機会には恵まれなかった。
「代表候補になればチャンス次第でどんどん海外遠征にも連れて行ってもらえるのですが、一向に呼ばれませんでした。同世代の選手が代表として活躍する中で、気づけば代表ウェアを着ていないのは私だけになっていました」