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<12年目の戦力外通告>「今後は未定」178試合登板でカープのリーグ3連覇を支えた今村猛のプロ人生の着地点とは
text by
前原淳Jun Maehara
photograph byJIJI PHOTO
posted2021/10/16 06:01
2016年の日本シリーズ初戦で2番手として登板した今村。この年からのリーグ3連覇に大きく貢献した
球団が25年ぶりの優勝を遂げた瞬間も、緒方孝市監督(当時)を胴上げする中心から少し離れたところで、破顔したチームメートを見てほほ笑みながら万歳していたように、スポットライトを浴びることを好まない。球団から退団や引退のセレモニーの打診があっても断っていたかもしれない。それでも、チームを去る形は大事なことだったんじゃないか。そもそも、そういった選手たちに温かみがある球団が、広島だと感じていた。
戦力外通告を真っ先に父親に報告した一方、野球を始めるきっかけを与え、常に一番のファンであり続けた祖母には「まだ言っていないし、言えない。僕をプロ野球選手にしてくれた人だから」と伝えられないでいる。
テレビ取材では、広島の思い出を聞かれ、思わず涙を浮かべる場面もあった。マウンド上では決して相手に心理を読まれないよう、感情を表に出さなかった右腕が、広島最後の日に感傷的な一面を見せた。
生き方が少し、下手だったのかもしれない。
飄々としたマウンドさばきは味方には頼もしく、相手には不気味に映る。ただ、結果が伴わなければ、覇気がないとみられる。
人見知りで口数は少ないが、情には厚い。同世代選手の結婚が相次ぐ中、独身を貫く理由に「後輩たちにご飯を食べさせてあげたいんですよね」と真顔で言っていたこともある。少しずつ積み上げた人間関係は大事にする。素直すぎるゆえ愛想笑いも得意ではなく、誤解されやすい。
相反する性格を受け入れながら、やるか、やられるかの世界で戦ってきた。
「変われるところを見せたかった」
「結果がすべての世界。結果を追い求めてやってきた」
2年目の11年に中継ぎに回ったことが大きな転機となり、チーム3位の54試合に登板した。翌12年からは69試合、57試合と、同学年が大学生活を送る4年間で182試合、プロの世界で投げていた。
フル回転した代償のように14年から登板数を落としたが、肉体改造とフォーム修正でよみがえった。16年から18年までの3年間には、178試合、9勝11敗、26セーブ、52ホールドで3連覇を支えた。19年に27試合と登板数を落とすと、昨年はわずか6試合登板に終わった。
ただ、16年の経験があっただけに、再びチームの力になるため、自己改革に取り組んだ。トレーニングと食事管理で体重を12kg落とした肉体は、一回りどころか、二回り引き締まった。
「変われるというところを見せたかった」
最後に見せた、寡言な男なりの精いっぱいのアピールだったのかもしれない。