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プレミア初昇格から5季目で大躍進のブライトン 三笘薫の保有元はオーナーもサポーターも人情派 

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山中忍

山中忍Shinobu Yamanaka

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posted2021/10/05 17:00

プレミア初昇格から5季目で大躍進のブライトン 三笘薫の保有元はオーナーもサポーターも人情派<Number Web> photograph by Getty Images

レスターを撃破するなど、プレミア昇格5季目のブライトンが開幕から躍進の予感を漂わせている

“借家”はイングランドでは「御法度」の陸上トラック付き

 恵まれない環境でも健気なブライトンの地元サポーターたちが、土壇場で追いつかれた試合後にも「グッド・ゲーム!」「エキサイティング!」と陽気だったホームゲームを筆者が訪れたのは11年半前のこと。

 サウサンプトンとのリーグ戦は、クラブのメディア担当者から「なんでまた、わざわざウチの試合に?」と言われた3部での中位対決だった。ロンドンから電車で1時間ほどの海沿いの町は、そもそも外国人がサッカーを見に行く町ではない。イギリスに住むようになった当初の筆者も、波は滅多にないにしてもサーフショップがある町としてブライトンに足を運んでいた。

 取材理由は、愛するチェルシーの元MFグスタボ・ポジェの監督初挑戦だったからだが、なんと新監督自身がプレーする可能性もあった。ポジェは自身の年齢にちなんだ背番号42、助監督のマウリツィオ・タリコは祖国アルゼンチンの英雄マラドーナ所縁の背番号10で、それぞれ選手登録もされていたのだ。

 駒不足による非常事態も考えられたブライトンの当時の“借家”は、ウィズディーン・スタジアム。イングランドサッカー界では「御法度」に近い陸上トラック付きで、小高い丘の上にあるスタジアムのピッチには、屋根のないバックスタンド後方の雑木林から海風が吹き抜けた。プレハブ小屋での記者会見で、指揮官が「風の中で指示を叫び続けるから肺を鍛えられる」と言って笑っていたことを覚えている。

 その俗称「シアター・オブ・ツリーズ」でホームゲームを行えることさえ、ありがたい状況にあったのが当時のブライトンだ。

全試合がアウェイゲームのような2年間

 1997年、クラブ創立時からのホームスタジアムを売却により失ったクラブは、地元から120km離れたジリンガム(現3部)のホームに“同居”していた時期もある。耐えかねたサポーターがスタジアムMC役を買って出るまでは、感情移入があり得ないジリンガム職員によるアナウンスが流れていたという。まるで全試合がアウェイゲームのような2年間を経て見つけた“仮宿”が、ウィズディーンだったのである。

 ブライトンの人々は、最終的に専用ホームスタジアムとなる地元の土地を建設地として認可してもらうため、キャンペーン活動にも懸命だった。決定権を持っていた当時の英国副首相が環境シンポジウムで出張していた京都で、「母国のカモメたちも忘れないで」と声を掛けられたというエピソードも持つシーガルズのサポーターにすれば、アメックス・スタジアムは文字通りの「シアター・オブ・ドリームズ」だ。

【次ページ】 オーナーはかつてポーカーのプロとして世界を転戦

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