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「スケートのシーンを変えられる」小学生だった堀米雄斗の支援を早川大輔コーチが決意した2つの理由〈遠征費も自腹だった〉
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYoshiko Kojima
posted2021/09/30 11:05
スケートボード日本代表コーチの早川大輔氏が東京五輪の熱狂を振り返る
堀米は先行世代を受け継ぐ存在だ、とも言う。
早川が憧れた存在に、アメリカで活動し帰国後にスケートボードチーム「T19」を結成しスケートボードカルチャーを発信し続けた大瀧ひろし氏(2017年逝去)がいた。
「大瀧さんの活動を見たり知ったりしなければ、若いときにアメリカに連れていってアメリカで活躍できる目線にかえてやろう、大会に出してやろうと思わなかったと思います」
早川が刺激を受け、得てきたものを注いだ堀米は、東京五輪で金メダルを獲得。スケートボードが脚光を浴びる原動力となった。
「(オリンピック)は本質を残したままルールを作ってくれた」
スケートボードが熱狂を生んだ大会から時を経た今、早川は思う。
「おそらく競技をする団体の中にスケートボードの経験者が多く入っていて、かっこよさとか何がすごいのかという価値観がちゃんとルールに盛り込まれたことが大きかったと思います。誰もやっていないトリック、オリジナリティ、クリエイティビティ、誰が見てもすごいということを追求していれば評価されて勝てるルールになっている。自分のビデオパートで誰もやっていないことを発表するのと同じ感覚、発表する場がオリンピックだったということ。本質を残したままルールを作ってくれた。そうでなければ『これはスケートボードじゃない』と、多くのスケーターは参加しなかったと思います。メダルは、スケーターとしてかっこよさとか楽しさを表現することを求めての結果でしかないけれど、メダルを獲ったことで一般の人にスケートボードの魅力を伝えるチャンスが生まれたのが大きな成果ですね」
スケートボードを始めて35年目だからこその感慨もある。
「スケートボードは、僕らが始めた頃から今も変わらない。あの頃は煙たがられていたけれど、縦社会や団体行動が苦手で個を大事にしている人間が脚光を浴びることになったことは、すごくいい時代になったような気がします」
スケートボードは「人生そのもの」だと語る。
「僕はスケボに選ばれたと思っています。個人的には体が動かなくなるまで滑り続けたい。あとは喜びを、楽しみを感じてかっこいいと思う人が一人でも増えたらいいなと思っています」
スケートボードとともに生きる人生はこれからも続いていく。
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