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「スケートのシーンを変えられる」小学生だった堀米雄斗の支援を早川大輔コーチが決意した2つの理由〈遠征費も自腹だった〉
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYoshiko Kojima
posted2021/09/30 11:05
スケートボード日本代表コーチの早川大輔氏が東京五輪の熱狂を振り返る
目的は「雄斗をアメリカで成功させること」
「ブランド(HIBRID)を始める前のお店は最終的には失敗して借金も結構ありました。プロスケーターのプライドはあったけれどそんなんじゃ食べていけないから、トラックの運転手をやり、奥さんにも働いてもらって。あのときがいちばんどん底。辛かったですね」
それでも行動に駆り立てられた理由があった。
「やりたいこと、やるべきことが雄斗のおかげで明確になったので完全に突っ走っていましたね」
明確になったこととは何か。答えは一言だった。
「雄斗をアメリカで成功させること」
「スケートのシーンを大きく変えられるんじゃないかと思った」
1つには、堀米に見い出した将来性にあった。
「圧倒的に持っているスキルが違うというか、センスもよかったし経験もありました。僕らは中学校で始めたのに、雄斗は中学生の時点で7、8年のキャリアがあって大きい舞台でも力を出せるメンタルもあった。雄斗のお父さんが僕と同じくらいの年齢で見てきているシーンが一緒だし憧れたアメリカのスケーターも一緒。どのように成長していったのかを考えて、小っちゃいときにバーチカル(ハーフパイプの急斜面)をみっちりやって、体が強くなってからストリート、という順序をみんなが知らないときからやっていました。アメリカのトッププロスケーターと同じステップを踏んでいることもあって、成功するのは見えていました」
もう1つは、自身の思いとスケートボードの未来を託せるという直感だった。
「スキル不足や時代背景もあって自分の目指していた、アメリカでプロとして活躍することはなかなかかなえられなかったけれど、雄斗ならかなえられる。僕が得た知識、経験を伝えることでかなうなら見たいと思った。日本にとって逸材だし、スケートのシーンを大きく変えられるんじゃないかと思った。だからすべてを懸けました」