オリンピックへの道BACK NUMBER
「順位を決めるためではない」堀米雄斗を育てたスケートボード早川大輔コーチが語る“スケボーカルチャー”の本質とは?
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYoshiko Kojima
posted2021/09/30 11:04
スケートボード日本代表コーチとして東京五輪にも帯同した早川大輔氏
「スケボーの価値観がまぶしいほどまわりは曇っていたのかな」
スケートボードがもたらした「価値観」を伝える記事もいくつか目にし、大きな反響も知った早川は「ありがたいこと」と受け止めつつ、感じることもある。
「僕らの中では日々感動しているし、逆に言うと、だからスポーツをみんなやっているんだろうと思っていたんです。そこをフィーチャーされるとどんなに違う感覚でやっていたんだろうと不思議というか違和感を覚えます。スケートボードの価値観が脚光を浴びるのはうれしいけれど、それがまぶしいほどまわりは曇っていたのかな、と」
一連の言葉には、スケートボードへの愛着と自負があった。三十年以上にわたりスケートボードに生き、推移を目にしてきた中で培われた信念だった。
「『なんだこれ』という感覚に一瞬でとりつかれた」
ADVERTISEMENT
現在47歳の早川がスケートボードを始めたのは13歳のとき。
「その頃、第二次か第三次のブームが起きていて、雑誌でスケートボードの露出があった。それをキャッチしてかっこいい、面白そうと始めた世代です」
もともと体を動かすのは好きだった。
「母親が言うには、ちっちゃいときから3秒目を離したらどこにいるか分からない、気づいたら塀の上を走っている活発な子供だったそうです」
さまざまなスポーツに取り組んだ。小学生の高学年から始めた少林寺拳法は中学生まで続け黒帯を締めるまでになり、部活でサッカーもした。でもスケートボードに一瞬にして心を奪われた。
「見た目と違って、板に乗ってみると難しさがすごく大きかった。思ったように動かせない悔しさと、でも『なんだこれ』という感覚に一瞬でとりつかれた感じでした」
それだけではなかった。
「部活のように、いろいろルールがあって決められたフォーマットで頑張るのがどうにも苦手で。集団行動も上下関係も嫌でした。スケートボードはまったく違いましたね。与えられたことをやるのではなく、やりたいからどんどん探ってスキルを得ていく。それがとにかく楽しかった」
今日のように情報が出回っているわけではない。
「ちょっと上の先輩がスケートボードを売っているお店で海外のビデオを流しているのを観て、『こういうことをやるんだ』と感覚だけ覚えて地元に帰ってきたり、雑誌の挿絵のハウツーを見て、『こんな形になるんだ』と友達にチェックしてもらいながら覚えたり。あとは『どこどこの公園に何々が上手い人がいるよ』と聞いたら、行って話しかけたり。とにかくスケートボードにかかわる情報を探っていく感じでした」
以来、スケートボードに打ち込んできた。本場を知りたくてアメリカにも渡った。