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巨人から戦力外通告→右肩痛を克服し、期限ギリギリでDeNA支配下登録…復活の宮國椋丞、三浦監督が先発起用を明言したワケ

posted2021/09/01 17:02

 
巨人から戦力外通告→右肩痛を克服し、期限ギリギリでDeNA支配下登録…復活の宮國椋丞、三浦監督が先発起用を明言したワケ<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

DeNAではこれまで育成の背番号「106」を背負っていたが、今後は「65」で本格的な復活に挑む

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石塚隆

石塚隆Takashi Ishizuka

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 横浜DeNAベイスターズの育成選手として契約をしたのが今年の3月15日、そして正式に支配下登録されたのが8月30日。プロ野球人生が流転した約5カ月半、信用を積み上げた長い日々ではあったが、早く過ぎたよう感じられたと宮國椋丞は実感している。

 晴れてDeNAの選手となった宮國は、9月1日の午前中に記者会見へ臨み、次のように喜びを表している。

「まず、ここまで支えていただいた周りの方々に感謝したいと思います。素直に嬉しいですし、これからが勝負。チームの勝利に貢献できるように頑張りたい」

 昨年11月に巨人から戦力外通告を受けた宮國をDeNAが獲得に走ったのは、シンプルな話、投手の駒不足による補強が目的だった。とくに先発は昨年左肩の手術をした今永昇太が開幕に間に合わず、またコロナ禍によりローテ候補の新外国人フェルナンド・ロメロ、2年目のマイケル・ピープルズの来日が遅れることが確定的だった。

 投げられる状態にあった先発陣は開幕投手の濵口遥大を筆頭に、大貫晋一、平良拳太郎、上茶谷大河、そして若手では坂本裕哉、京山将弥、阪口皓亮、中川虎大、ルーキーの入江大生というメンツであり、力のある投手たちではあるが決して盤石とはいえない不安定な面も持ち合わせていた。事実、開幕早々先発が粘り切れず敗戦を重ね、下位に沈むスタートとなってしまった。

 そんな状況下、過去の実績を鑑み先発として宮國の早期支配下登録を願う声はあったが、そう簡単なことではなかった。

右肩痛克服の道のり

 宮國は昨年10月に登録抹消され、そのまま巨人を戦力外になっていたが、その原因のひとつは右肩痛にあった。12月7日のトライアウトに参加した際には肩痛が原因で腕が下がり、宮國の投球フォームはサイドスローのようになっていた。MAX140キロ出ていたものの、これでは各球団が獲得に慎重になるのは仕方のないことだった。結局、野球を続けたかった宮國は浪人覚悟で単身もしくはトレーナーと練習をする日々を送ることになるわけだが、年が明けると巨人時代の先輩である内海哲也(西武)から声が掛かり、自主トレをともに行うことになった。これがひとつの要因となって肩のコンディションは上向き、この先もやっていけるのではないかという自信が湧いたという。

【次ページ】 チームが宮國をギリギリまで待った理由

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