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炎上する車の中で友人3人を亡くして…主将・池透暢が“車いすラグビー”に夢中になった理由 「次は金メダル」、叶えたいもう1つの夢とは?

posted2021/08/31 11:00

 
炎上する車の中で友人3人を亡くして…主将・池透暢が“車いすラグビー”に夢中になった理由 「次は金メダル」、叶えたいもう1つの夢とは?<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

キャプテンとして車いすラグビー日本代表を引っ張った池透暢。目標としていた金メダルには届かなかったが、すでに次の夢へと歩みを進めていた

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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Naoya Sanuki

 5年越しの悲願への挑戦。

 満身創痍の中、最終日を迎えた車いすラグビー日本代表は、3位決定戦で世界ランク1位のオーストラリアに勝利し、リオ大会に続いて銅メダルを獲得した。

 屈強な相手にもひるまず、車いすをぶつけ合う衝撃音や時間も絡めた緻密な戦術。「東京パラリンピックで金メダル」を目指して戦い抜いた日本代表の姿に、細かなルールはわからずとも、とにかく面白い、と多くの人たちが胸を熱くしたことだろう。

 少しでもたくさんの人に知ってほしい――。主将の池透暢(ゆきのぶ)は金メダル獲得に向けた活動と並行しながら全国各地で体験教室や講演を重ね、車いすラグビーの強化と普及に力を注いできた。

 だからこそ、胸に輝く銅メダルを誇りながらも、口にしたのは「悔しい」だった。池にはどうしても金メダルを獲りたい理由があった。

友人を亡くした事故で左脚を切断

 19歳の時、池は自動車の交通事故に遭い、炎上する車の中で友人3人を亡くした。自身も身体の70%に火傷を負い、左脚を切断。左腕もほぼ感覚がない。

 絶望に近い状況で自信を失う中、中学時代の恩師から車いすバスケットボールを勧められ、極めた先にはパラリンピックがあると知った。亡くした友人のためにも自分が何かを残したいという思いから車いすバスケットボールへ挑戦。しかし、左腕が利かない池には限界が見えた。

 このままバスケットボールを続けていても、日本代表に入れるのかわからない。そんな迷いが生じた矢先、12年のロンドンパラリンピックで、初めて車いすラグビーを見た。

「『自分が入ればもっと強くできる。この場所で輝きたい』と思ったんです」

【次ページ】 「最初は全然楽しくなかった」

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