スポーツ物見遊山BACK NUMBER
宇野ヘディング事件&エモやん「ベンチがアホやから」から40年…後楽園と甲子園で起きた“2つの事件”が「巨人至上主義」の風潮を変えた?
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2021/08/26 11:04
1981年巨人対中日(後楽園球場)、7回裏に捕球を取り損ない、ヘディングしてしまう中日・宇野勝。左には驚きの表情を覗かせる大島康徳の姿も
翌日の新聞には「珍事」「宇野ヘディング・エラー」「お粗末野手 1点献上」などの見出しが並んだ。単なるエラーがここまで騒ぎとなり、語り継がれることになったのは、この試合がTVやラジオで全国に向けて生中継される巨人戦であったこと。そしてグラブを叩きつける星野仙一の「助演男優賞」とでも言うべき猛烈な怒りっぷりも大きい。
これがTV中継のない他球団との試合だったり、感情の起伏が少ない温厚な投手が投げていたら、ここまで印象的な名場面は誕生していなかったはずだ。
実際、宇野は翌82年の大洋戦(4月24日)でもユニフォームを忘れ、飯田幸夫コーチのそれを借りて、いつもの背番号7ではなく、背番号77で試合出場しつつホームランまで打っている。3年後(84年)の大洋戦では前走者(大島)を追い越してアウトになるなど、エラー以上の珍事をやらかしているが、こちらがそれほど語り継がれていないのは、巨人戦でなかったことも大きい。
中日OB・大島康徳さんが遺言の如く自らの野球生活を振り返ったコラム『この道』が中日新聞や東京新聞の夕刊に好評連載され、その連載途中に70歳で亡くなられるという出来事があったが、そこでもヘディング事件の顛末は、まるまる1回分を使って証言されていた。やはり「宇野ヘディング事件」は単なるエラーではなく、球史に残る大きな「事件」なのである。
「ベンチがアホやから野球がでけへん」
一方、西の甲子園では、8回表に中西太監督から途中交代を告げられたエモやんこと江本孟紀投手が、「ベンチがアホやから野球がでけへん」と公然と阪神首脳陣を批判。そのまま現役を引退することになった事件は、バックステージでの出来事ゆえ、翌日の新聞ではさほど大々的には報道されておらず、翌々日の8月28日付の新聞で「江本、突然の引退」「江本、阪神退団」と報じられている。
単なるエラーと、首脳陣批判。2つの「事件」はこれだけで終わらなかった。そればかりか後世に大きな影響を与えることになる。
それまでは「ごひいきチームの勝敗に一喜一憂」「スター選手のプレーに憧れる」といったファンこそが圧倒的だったが、漫才ブームの影響なのか、人気選手のスキャンダルや球団や監督、コーチ陣との確執、私生活をも含めたアレコレをネタにし、それを笑い楽しむというファンが増えつつあった。
それらは、前々年(79年)にコミックもアニメ映画も大ヒットした『がんばれ!!タブチくん!!』(いしいひさいち作)の影響もあり、少年層にも下地が作られていた。