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宇野ヘディング事件&エモやん「ベンチがアホやから」から40年…後楽園と甲子園で起きた“2つの事件”が「巨人至上主義」の風潮を変えた?
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2021/08/26 11:04
1981年巨人対中日(後楽園球場)、7回裏に捕球を取り損ない、ヘディングしてしまう中日・宇野勝。左には驚きの表情を覗かせる大島康徳の姿も
堂々と首脳陣批判を放って引退したエモやんのほうは、事件といえば事件なのだが、宇野のほうはプレー中の単なるエラー。それが「事件」扱いされていることに対し、宇野本人が口を尖らせつつ、異を唱えるインタビュー記事を目にしたことがあるが、これもまた81年当時ならではの流行が大きく関係している。
81年1月に放送スタートしたラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)にて、村田英雄やポール牧、ガッツ石松らのマヌケな珍エピソード(※ほとんどが放送作家や「ハガキ職人」と呼ばれるリスナーの作り話なのだが)の数々が、「村田英雄〇〇事件」「ポール牧〇〇事件」「ガッツ石松〇〇事件」などなど、ビートたけしの話術によって、いちいち大げさに表現されるノリが若者の間で流行しており、宇野のエラーも、これら一連の「笑える話」と同列に事件扱いされていたというだけだ。
94年に現役引退するまで遊撃手として2リーグ分立後、唯一のホームラン王に輝き、中日時代には3度もベストナインを獲得するなど、球史に名を刻む名選手であるにも関わらず、まず最初に語られてしまうのが、あのヘディング事件であることには同情してしまうが、40年が経過してもなお、いまだに1つのエラーが語り継がれる選手というのも、この先、もう出てくることはないだろう。
さまざまな偶然が重なり、語り継がれることになった伝説のエラー。あれはやっぱり「夏の夜の奇跡」だった。
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