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東京五輪閉会式“バラバラ感”の正体…「WAになっておどろう」&欽ちゃんの名司会でアットホームだった長野五輪との差
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byJMPA
posted2021/08/17 17:02
8月8日の東京五輪閉会式。最後の花火が上がるまで2時間18分ほどかかった
ひょっとすると今回の東京五輪に足りなかったのは、欽ちゃんのような役回りではなかったか。オリンピック史上、競技場の内と外がこれほどかけ離れたまま開催された大会はなかった。せめて閉会式だけでも、選手たちとテレビの向こう側にいる一般の人たちをつなぎ、互いに感謝を伝え合う演出があってもよかったのではないか。その仲立ちをする役として、やはり司会者が必要だった気がする。今回の閉会式では一つひとつのショーやセレモニーに関連性が見出しにくく、散漫な印象を受けたが、それも司会がうまく場をつなげば、それなりに一貫したものになったのではないだろうか。
なぜ「広島原爆の日」の黙祷ができなかったのか
今回の東京五輪では、会期中に広島の原爆忌を迎えることになった。このため、広島市や被爆者団体などはIOCに対し、当日には選手や大会関係者も一緒に黙祷するよう求めたが、IOCは結局これを受け入れなかった。大会組織委員会を通じて説明されたIOCの言い分は、閉会式のプログラムには歴史上の痛ましい出来事などで亡くなった人々に思いをはせる内容が盛り込まれており、「広島市の皆様の思いについてもこの場で共有したい」というものであった。
たしかに閉会式には追悼のセレモニーがあり、ダンサーのアオイヤマダによる鎮魂を表現する踊りなどが披露されたが、いささか抽象的に感じられた。開会式でも同様の趣旨から、森山未來によるダンスとともに会場全体で黙祷が捧げられている。とはいえ、このときは、1972年のミュンヘン五輪でのテロ事件で犠牲となったイスラエル選手団をはじめ過去の五輪で会期中に亡くなった人に対する追悼だと、具体的なアナウンスがあった。
オリンピックの閉会式でこのようなセレモニーが取り入れられたのは、前回、2016年のリオデジャネイロ五輪からだという。その意義は認めるとして、趣旨があいまいなのは気になる。おそらく政治色を排しようとするがあまり、こうなってしまったのではないか。
かつて1994年のリレハンメル冬季五輪の開会式では、その10年前の冬季五輪開催地で、当時はユーゴ内戦のさなかにあったサラエボのために黙祷が呼びかけられた。このとき、IOCは「戦いをやめてください。殺し合いをやめてください。銃を捨てましょう」とはっきりと反戦のメッセージを打ち出している。このころとくらべるとIOCの態度は後退したと言わざるをえない。