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東京五輪閉会式“バラバラ感”の正体…「WAになっておどろう」&欽ちゃんの名司会でアットホームだった長野五輪との差
posted2021/08/17 17:02
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph by
JMPA
会場が一体となった演出といえば、1998年の長野冬季五輪の閉会式も思い出される。このとき、聖火が消えると、歌手の杏里と長野市児童合唱団の歌に合わせ、文部省唱歌「故郷(ふるさと)」を選手と観客が提灯を手に合唱した。フィナーレとして花火により大会のエンブレムが上空に描かれたのち、会場にはテーマソング「WAになっておどろう」が流れ、ムードは最高潮に達する。このとき、観客たちが次々にグラウンドに入り、選手や子供たちの踊りの輪に加わった。ハプニングではあったが、選手と一般の人たちの交流が生まれたとして、当時の新聞紙面では好意をもって報じられている(『毎日新聞』1998年2月23日付朝刊)。
欽ちゃんまさかのアドリブ「せ~の…」
長野五輪の閉会式では司会をタレントの萩本欽一が務め、会場が一体となる上でひと役買った。萩本はこのとき、得意のアドリブを一切封じられ、台本通りの進行を求められた。ただ、1カ所だけ禁を破ってアドリブを入れた場面がある。それは最後に「選手のみなさん、ありがとう!」と感謝を述べるところだ。萩本はこのセリフを台本で読んで、なぜ自分ごときが世界を代表して選手に御礼を言わないといけないのか、これは本当は世界中の人のセリフだろうと考えた。そこで会場の観客に世界を代表して御礼を言ってもらうことにしたのである。本番では萩本が先のセリフに付け加えて《でも僕だけがありがたいんじゃない。ほんとはみんなも『ありがとう』を言いたかったんだよね。じゃあ、みんなで言おうか。せ~の……》と観衆に呼びかけると、「ありがとう!」と大きな声が返ってきた(萩本欽一『なんでそーなるの! 萩本欽一自伝』)。
当時の萩本はテレビのレギュラー番組もほとんどなく、正直言って“過去の人”というイメージがあった(彼が社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を創設して話題を呼ぶのはもう少しあとである)。それだけに、長野五輪での起用に対し世間では疑問視する声もあった。筆者もやはり冷ややかにテレビ中継を見ていたのを覚えている。だが、会場全体をアットホームな雰囲気に変える上では、やはり欽ちゃんのキャラクターは必要だったのではないかと、いまにして思う。