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「世界一になりたい!」小6から下宿生活…2年間無敗だった岡本碧優15歳が“メダル狙いではなくゴン攻め”した理由
text by
吉田佳央Yoshio Yoshida
photograph byGetty Images
posted2021/08/06 11:03
メダル獲得がかかった大一番でも果敢にビックエアーに挑戦した岡本碧優(15)
その頃からいくら賢治さんやコーチの拳道さんが注意を促しても、練習に身が入らなくなった。賢治さんも無理矢理に練習をやらせるわけにもいかず、全く練習ができなかった日も多かったという。
案の定、今年に入り再開されたコンテストで、およそ2年振りの敗北を喫してしまう。五輪を前に雲行きは決して芳しくはなかった。
“メイク率も上がってるし、ニュートリックはうまいこといってほしい。”
賢治さんは最後に筆者にそう言って五輪へ臨んだ。
この時にトリック名を明かすことはなかったが、それが女子で彼女ただ一人だけが見せていた「540 ボディーバリアル」(「540」という大技からさらに身体だけを半回転させるトリック)であることはすぐにわかった。
ただ彼女にとってコロナ禍で失った“空白の1年”はあまりにも大きかった。
あえて挑戦した“本物のスケーター”だった
五輪後のインタビューでは泣きじゃくった顔で、最後にキックフリップインディー(ボードを縦に1回転させ後ろの手でお腹側から掴むトリック)を決めきれなかったのは自分への甘えがあった、と素直に認めている。ただ、あの最後のシーンは、トリックレベルを落としていたとしても、彼女であればメダルは間違いなく獲得することができただろうし、もしかすると金メダル争いにも食い込めたかもしれない。
それでも彼女が“ゴン攻め”で乗りにいった姿勢にこそ、カルチャーから歩みを進めてきたスケートボードの真髄が詰まっていたように思う。それに“ビッタビタ”にハマらずミスに終わったとしても、ラン終了後に同じ決勝を戦った仲間達に抱き抱えられたあの瞬間は、元来スケートボードコンテストが持っている美しい姿であった。改めてこのカルチャーの素晴らしさを日本中に伝えることができたのではないだろうか。
岡本だけに限らず、彼女をここまで育て上げた拳道コーチやチームスタッフの方々が、さまざまな紆余曲折を経てようやく五輪に辿り着いたことを知っている自分にとって、岡本碧優と言う“本物”のスケートボーダーが最後に見せた悔し涙ととびっきりの笑顔は、どんなメダルよりも一際輝いて見えた。