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「世界一になりたい!」小6から下宿生活…2年間無敗だった岡本碧優15歳が“メダル狙いではなくゴン攻め”した理由 

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吉田佳央

吉田佳央Yoshio Yoshida

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photograph byGetty Images

posted2021/08/06 11:03

「世界一になりたい!」小6から下宿生活…2年間無敗だった岡本碧優15歳が“メダル狙いではなくゴン攻め”した理由<Number Web> photograph by Getty Images

メダル獲得がかかった大一番でも果敢にビックエアーに挑戦した岡本碧優(15)

 その間も本人が嫌だと言えばいつでも親元に返す心構えだったそうだが、岡本は泣いてでもやりたいと志願。幼心ながら自ら決めたことに対して中途半端な気持ちで帰る事はできないという想いもあったのだろう。

 そしておよそ2カ月弱の猛練習の末、見事に成功。この時は喜びのあまり嬉し泣きしてしまったと本人も明かしている。そこから本格的に下宿生活がスタートした。この時点でもまだ中学1年生。親元に帰りたいと思った日もあっただろう。それでも自ら甘えを断ち、心が打ちひしがれながらも練習に打ち込む日々を過ごした。

「これをやりたい!」無敗の女王に起きた異変

 厳しい練習に耐え続け「540」を完璧に習得した岡本は、世界を相手にしても無敗を誇った。スコアに関しても他のライダーの平均が50点台のところを、彼女ただ1人60点台を叩き出すことも珍しくなかった。2019年後半当時の彼女ははっきり言って“敵なし”。一躍脚光を浴びる存在となった。

 ただメディアへの露出も増えた彼女の心に、その時から少しずつ変化が生まれていく。世界のトップに立つということは、言い換えれば目指すものがなくなってしまうことを意味する。さらに慢心もあったのだろう。下宿生活が始まる以前の勢いのまま、「これをやりたい!」「あれもやりたい!」とメディアに言ってしまうことが、意図せず自らに見えない高い壁を設けることになってしまい、さらなるプレッシャーとしてのしかかってしまったのだ。

 夢物語を語ることは、人によってはそれがパワーになり己を高めるひとつの要因になる。ただし彼女にとっては、それが理想と現実のギャップに戸惑う原因になってしまった。言う割に出来ない、やらない。そのような捉え方をされてしまうことに対して、どんどんと控えめになってしまったのである。

東京五輪を前に「およそ2年振りの敗北」

 さらにそこに追い討ちをかけたのが昨年のコロナ禍だ。

 無敗を継続し続けていた中での相次ぐコンテスト中止は、ただでさえ追われる立場になって目標を失いやすい状況にあった彼女にはあまりにも酷だった。しかも思春期真っ只中の中学生に、その苦痛は重すぎた。

【次ページ】 コロナ禍で失った“空白の1年”

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