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五十嵐カノアと堀米雄斗“金メダルの約束”「一緒に獲りたかったけど…」 なぜ日本人の青年は世界的カリスマになれたのか? 

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雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

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photograph byJMPA

posted2021/07/31 11:05

五十嵐カノアと堀米雄斗“金メダルの約束”「一緒に獲りたかったけど…」 なぜ日本人の青年は世界的カリスマになれたのか?<Number Web> photograph by JMPA

“金メダルを獲る”と約束をした堀米雄斗と五十嵐カノア。2人は、スケートボードとサーフィンを舞台に世界で活躍する若きカリスマだ

「(堀米と)一緒に金メダルを獲りたかったので残念だけど、一緒にメダルの写真を撮ることはできる。それはよかったです」。その戦いぶりに堀米もInstagramを通じて「おめでとう~」とメッセージを送った。

 こうして2人の初めてのオリンピックは幕を閉じたのだった。

競技を始めたきっかけは「父親」だった

 今回から五輪に採用された新競技で、それぞれメダル獲得を期待された2人は、どちらもカリフォルニアを拠点にしている。よくよく考えてみると、キャリアには似通った部分が多いだけに、両者が共感を覚えるのは競技の特性を抜きにしても自然なことなのかもしれない。

 競技を始めたきっかけも「父親」だったという共通項がある。

 五十嵐の場合、自らがサーファーだった父・勉さんが子どもたちを世界で通用するサーファーに育てるため1995年にカリフォルニアに移住。その2年後に五十嵐はアメリカで生をうけた。幼い頃の父との思い出はすべて波の音とともにあったという。

「お父さんは仕事をしていたので、一緒にいる時間はそれぞれが学校と仕事に行く前の朝だけでした。シンプルにお父さんと一緒に海で遊んでいる感じで印象に残ってます。サーフィンはホームという感じで、お父さんと一緒にできるスポーツで子供の時はただ楽しんでいました」

 世界一、ましてや五輪でメダルを獲得しようなどとも想像すらしていない、ただ父子で波と戯れる日々だった。赤ん坊の頃から父のスケートボード遊びに連れられて、物心ついた頃にはデッキの上に乗っていた堀米も同様である。

 2人ともすでに独り立ちしたアスリートに成長したが、今回の五輪でのメダル獲得にはいずれも父の小さな支えが隠れていた。堀米は大会前や予選の後、父・亮太さんからSNSのダイレクトメッセ―ジで精神面でのアドバイスをもらっていたし、千葉が地元の五十嵐の父は大会期間中に会場近くに滞在していた。五十嵐も「会場で応援してもらうことはできなかったけど、近くで見てくれていると思うと気持ち的には大きかった」と、その存在を身近に感じるだけで心強く思っていた。

マイナースポーツの厳しさ「なんでスポンサーがつかない?」

 本場アメリカの環境も彼らの成長に大きな役割を果たした。アメリカで生まれ育った五十嵐は言わずもがな。日本では経験できないサイズや種類の波にもまれ、その技術を磨いていった。堀米も高校卒業後に本格的に拠点をアメリカに移し、日本とは比べ物にならないほど豊富なパークやストリートのセクションに挑むことで格段に飛躍を遂げた。

 こんな話がある。

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