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体操の次世代エース 北園丈琉の進路が大学ではなく「徳洲会」の理由とは〈18歳で東京五輪個人総合5位〉
text by
宝田将志Shoji Takarada
photograph byAFLO
posted2021/07/29 11:02
清風高校の梅本英貴監督と3年生だった頃の北園丈琉
「悩んだのは、どこも良すぎて……」
北園は進路を決めるに際し、実際に各大学に足を運び、見学して回っている。
「どこもメリットがありました。悩んだのは、どこも良すぎて……」
清風高の梅本英貴監督によると、同高を拠点にしたまま、スポンサーを募りプロ選手として活動する案もあったという。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大で状況は一変。多くの企業が打撃を受け、こちらは実現しなかった。
「今年の3年生はコロナの自粛期間中に進路を決めないといけなかったので本当に難しかったですよ」と梅本は振り返る。
「子供たちも自信をなくしていくんです。(試合がなくなり)頑張ってきたことの『結果』がないので。自分が今、どの位置にいるのか指標がない。丈琉も勇気が出ない部分が最初はあって、『今まで人と違うことをやってきたから、人と違う道に行くぞ』となるのに時間が掛かりました」
徳洲会は、かつて国内最強だった。
徳洲会は、かつて国内最強のチームだった。'04年アテネ五輪で団体金メダルに輝く米田功(現徳洲会監督)や水鳥寿思(現日本協会強化本部長)らを擁し、'03年から全日本選手権の団体を5連覇した。
しかし、櫛の歯が欠けるように、栄光を彩った選手たちが引退したり、衰えていくと、その後、内村や山室が加入したコナミスポーツにトップの座を奪われた。近年は順大OBの萱和磨、谷川航らが所属するセントラルスポーツが最も勢いがある実業団だ。
個々の所属選手に目を移せば、亀山耕平が'13年世界選手権種目別あん馬で世界一になったものの、五輪はロンドンに田中和仁(現徳洲会コーチ)が出場したのを最後に、リオでは誰も代表に送り出せなかった。
一度流れを失うと良い選手は集めづらくなるもの。'13年に監督に就任した米田は勧誘で苦戦を続けていた。