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大橋悠依は“高校時代ほぼ無名”だった… 女子水泳界で異例の「20歳過ぎての遅咲き」ができたワケ〈五輪2冠達成〉

posted2021/07/29 06:00

 
大橋悠依は“高校時代ほぼ無名”だった… 女子水泳界で異例の「20歳過ぎての遅咲き」ができたワケ〈五輪2冠達成〉<Number Web> photograph by Kyodo News

水泳界でも女子はとりわけ早熟傾向が顕著である。その前例を覆して20歳以降から成長した大橋悠依のキャリアは極めて貴重だ(写真は2018年)

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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Kyodo News

東京五輪競泳女子200m個人メドレーで大橋悠依が2分8秒52で金メダルを獲得しました。400m個人メドレーに続き、日本競泳女子史上初となる1大会での2冠を達成しました。この快挙を祝して“ほぼ無名”から一気に才能が開花した経過を追った記事を再公開します。(初公開:2018年8月19日)

 堂々の勝利だった。

 8月9日から12日にかけて行なわれたパンパシフィック水泳選手権で、大橋悠依は400m個人メドレー、200m個人メドレーの2冠に輝いた。

「言い訳になりますが、ゴーグルに水が入って集中できませんでした」

 そう振り返った400m個人メドレーだったが、最初のターンから先頭に立ち、そのままゴール。

 200m個人メドレーは、「前半から行きそうな選手がいなさそうだったので」と、前半から積極的に行くと、やはり一度も先頭を譲らずに泳ぎ終えた。それは日本女子では初の個人メドレー2冠でもあった。

「金メダルを獲って、東京オリンピックにつながるように、ステップアップしていきたいです」

 抱負をこう語った今大会は、海外勢の顔ぶれを見れば勝ってしかるべきレースではあったが、それでも自身の目標と周囲の期待に応えての優勝は見事の一言に尽きる。何よりも、レース前後の物腰は、貫禄を感じさせるほどだった。

高校時代はほとんど無名。

 だがこの数年をあらためて考えれば、今大会で見せた成績と姿は驚きと言ってもよい。「遅咲き」という言葉が相応しい足跡をたどってきたからだ。

 競泳の場合、日本代表として活躍する選手はたいてい中学、高校時代に台頭する。一方で大橋は、高校時代は全国大会のレベルでめざましい結果を残していたわけではなかった。東洋大学に進んだあとも、状況はしばらく変わらなかった。

 象徴的なのは、大学2年生で迎えた2015年4月の日本選手権だ。200m個人メドレーに出場した大橋は、出場40人中40位、つまり最下位に終わったのだった。

【次ページ】 20歳を過ぎての急成長はなぜ起きた?

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