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大橋悠依は“高校時代ほぼ無名”だった… 女子水泳界で異例の「20歳過ぎての遅咲き」ができたワケ〈五輪2冠達成〉
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byKyodo News
posted2021/07/29 06:00
水泳界でも女子はとりわけ早熟傾向が顕著である。その前例を覆して20歳以降から成長した大橋悠依のキャリアは極めて貴重だ(写真は2018年)
20歳を過ぎての急成長はなぜ起きた?
大橋が頭角を現したのは2016年4月。日本選手権の400m個人メドレーで3位となり、表彰台に上った大学3年生のときと言えるかもしれない。
大学4年生になると400m個人メドレーで大幅に日本記録を更新して優勝。リオデジャネイロ五輪の銅メダルに相当する好タイムで、それまで注目度が低かったこともあって、脚光を浴びた。
世界選手権代表の座をつかむと、200m個人メドレーで銀メダルを獲得。20歳を過ぎて、一気に成長を遂げたことが分かる。
そんな驚異のストーリーを実現させた理由はどこにあるのか。実は、無名と言ってよい存在だった高校時代までにあった。
大橋の泳ぎの特徴は、ゆったりと大きなストローク、身体の軸が水面に沿うように伸びる姿勢にある。水の抵抗の少ない、理想的なフォームを培ったのが、中学、高校時代だった。
当時通っていたスイミングクラブでは、泳ぐときの姿勢を体得することに重きを置いていた。地道ではあったが怠らずに取り組んだことで、きれいなフォームを身につけていった。
体力不足、精神的な不安定さを乗り越えて。
それが転機を呼び込む。大会で大橋の泳ぎを目にした日本代表ヘッドコーチ(当時)の平井伯昌氏が将来性を感じ、自身が水泳部監督を務める東洋大学に誘ったのである。
ただ、超えなければいけない課題はまだあった。
1つは体力のなさ。大学に進んだ後、練習をこなすことができず基礎的なところから体力作りを始めなければならなかった。大学1年生の後半からは、原因不明の体調不良にも襲われた。やがて原因が貧血であることが分かり、改善に努めていった。
もう1つは、メンタルだった。大橋自身、「気分屋のところがあります」と以前語っていたが、うまくいかないときにどうしてもネガティブな感情に囚われがちだった。平井氏から指摘を受けて省みるとともに、レースで結果が出始めると、徐々に克服していったのである。