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大橋悠依は“高校時代ほぼ無名”だった… 女子水泳界で異例の「20歳過ぎての遅咲き」ができたワケ〈五輪2冠達成〉 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byKyodo News

posted2021/07/29 06:00

大橋悠依は“高校時代ほぼ無名”だった… 女子水泳界で異例の「20歳過ぎての遅咲き」ができたワケ〈五輪2冠達成〉<Number Web> photograph by Kyodo News

水泳界でも女子はとりわけ早熟傾向が顕著である。その前例を覆して20歳以降から成長した大橋悠依のキャリアは極めて貴重だ(写真は2018年)

「自分はできると信じていました」

「この1年は苦しいことばかりでした」

 大橋は言う。一気に日本代表へと躍り出て、世界選手権でメダリストとなったことで、今度はそれがプレッシャーともなった。

「世界選手権のレースが100点満点の感覚があって、どう超せばいいのか、悩んでいました」

 乗り越えることができたのは、泳ぎ続けたからにほかならなかった。個人メドレー2種目にとどまらず、200m自由形などにも取り組み、大会では多くのレースに出場し経験を重ねた。

 今春の日本選手権でも3種目8レースを泳ぎ、最終レースに400m個人メドレー決勝を迎えるスケジュールだった。コンディション的に楽ではない状況でも、自らの日本記録を塗り替えてみせた。

「自分はできると信じていました」

 その言葉にも、成長のあとがうかがえる。

 高校時代まで、地道に力を注いだフォームの習得が今日へとつながった。

 ときに、ネガティブに考えがちな時期があったかもしれない。でも、いつ花開くと分からずともあきらめなかった、心のどこかで可能性を信じていたことが土台を築き、花開かせた。

 パンパシフィック選手権のレースを終えて、大橋は言う。

「ここで金メダルを獲ることは、東京オリンピックへとつなげるのに必要でした」

 明確に目標と見据える2020年のために、異例の足跡をたどるスイマーは、8月19日に競泳初日を迎えるアジア大会でもタイトルを狙う。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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