バレーボールPRESSBACK NUMBER
「ラン&タッちゃん」バレー男子代表の“大学生”コンビ、東京五輪を意識したのは小学6年生《35歳福澤達哉から託されたもの》
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2021/07/23 17:04
大学生で日本代表入りを果たした高橋藍(右)と大塚達宣。東京五輪のコートでどんな飛躍を見せるか
逸材2人は京都で火花を散らした。大塚は大阪府枚方市出身だが、高校は京都の洛南高に進学。1学年下の高橋は東山高に進んだ。2人の在籍中、全国大会の京都府予選決勝では、洛南対東山のハイレベルな争いが繰り広げられた。
両雄が切磋琢磨することで京都のレベルは上がった。春の高校バレーでは、大塚が3年の時に洛南が日本一となり、翌年は、高橋を擁した東山が日本一と、京都勢が連覇した。
ただ、京都から全国に行けるのは1チームだけ。お互いに「この選手がいなければ」と思ったこともあったかもしれない。
東山高の豊田充浩監督はこう明かす。
「大塚君じゃなかったら……と思っていましたよ(苦笑)」
特に1年の春高予選で敗れた時の高橋は、本当に悔しそうだったと豊田監督は振り返る。高橋は2歳上の兄・塁の姿を見てバレーボールを始め、兄の背中を追って東山高に入った。その兄にとって高校最後の大会・春高の舞台で、一緒に戦う夢が打ち砕かれたからだ。
「むちゃくちゃ仲のいい兄弟なので。その年、インターハイは勝って全国に行きましたけど、最後の春高だけ負けて行けなかったので、『お兄ちゃんを勝たせられなかった』って、それはもう悔しがっていました。そのあと、藍はグアーッと上がって行きましたね」と豊田監督。
今振り返れば、京都で2人が出会い、しのぎを削ったからこそ、互いの急速な成長があった。
東山高・松永コーチとの出会い
もう1つ、高橋にとって幸運だったのは、東山高の松永理生コーチとの出会いだった。
松永コーチは、石川祐希が中央大に在籍時、監督を務めていた。退任後、母校・東山高の指導に行くようになり、高橋が3年の時にコーチに就任した。
松永コーチは、石川と取り組んでいた練習やトレーニングなど、伝えられるものはすべて伝え、石川に憧れていた高橋は積極的に吸収していった。