ブンデス・フットボール紀行BACK NUMBER
浅野拓磨のボーフム移籍で甦る13年前の記憶…坊主頭の日本人が観衆を魅了した1本のダイレクトパス
text by
島崎英純Hidezumi Shimazaki
photograph byGetty Images
posted2021/07/21 17:04
2008年から約2年間、ボーフムでプレーした小野。怪我で出番は限られたが、ピッチに立てば華麗なプレーでファンを魅了した
当時ボーフムは3シーズン連続で1部を戦っていて、近隣のボルシア・ドルトムントやシャルケ04の盛り上がりには及ばないものの、地元の方々も“我が街のクラブ”へ大きな期待を寄せていたように思います。
とはいえボーフムは先述した通り小規模で、当時『レビルパワーシュタディオン』と称されていたホームスタジアムも、2万9448人収容と小ぢんまりとしたものでした。
スタジアムにはクラブハウスとトレーニンググラウンドが併設されていて、公開練習の際にはファン・サポーターが自由に見学できました。
身体の中にビールとワインの余韻が残る翌日、中心街に建つホテルから閑静な住宅街を抜けた先にあるスタジアム脇のトレーニンググラウンドへ向かうと、練習観戦者はなんと僕ひとりでした。
自身の苦闘はさておき、浦和時代の後輩を気にかける
グラウンドを囲う金網越しからピッチを凝視すると、トレーニングを開始したばかりの選手たちがジョギングをしていて、僕の前を通り過ぎていきます。すると、大柄なチームメイトに取り囲まれるようにして走る坊主頭の選手がおもむろに顔を上げ、サムズアップのポーズをしてきました。
足首のケガから復帰したばかりの小野の勇姿に安堵した僕は、二日酔いの赤ら顔がバレないように少しだけ俯き、同じく親指を立てるポーズをしたのをよく覚えています。
小野伸二というサッカープレーヤーは、常にケガと向き合ってきました。
ボーフムに移籍した当時も慢性的な足首の負傷を抱えていて、チームからの一時離脱を繰り返す日々が続いていました。でも、どうやら今週末のゲームには間に合いそう。一言挨拶しようと待っていると、練習を終えてクラブハウスから出てきた小野が開口一番僕に向かってこう言いました。
「ハセ(長谷部)は元気にしてた?」
彼は僕が先にヴォルフスブルクへ取材に行っていたことを知っていて、自身の苦闘などさておき、何よりも浦和レッズ時代の後輩を気にかけていました。思えば小野は、何時、何処にいても朗らかで、周囲を気遣い、思慮深く、快活な青年でした。
そして彼は、サッカーという競技の世界では魔法を唱え、観る者を陶酔させる選手でもあるのです。
ノートラップで遥か遠方の仲間の足下に
今でも鮮明に覚えています。2008年9月14日のブンデスリーガ第4節・VfLボーフムvsアルミニア・ビーレフェルト。前節シャルケ戦を負傷欠場していた小野は、この日ベンチスタートでした。
試合は、ホームのボーフムがポーランド人FWマルチン・ミェンチェルとフランス人SBマルク・プフェルツェルのゴールでセーフティリードを保ちます。日曜15時からのゲームに2万人強のファン・サポーターが詰めかけていましたが、フルハウスではありません。
それでも牧歌的で親身なボーフム・サポーターは身体の内側から沸き立つ情熱を帯びていて、僕も彼らが次第に高めていくボルテージをひしひしと感じていました。